モテリマクリスティ

 2020年、人類は大方の科学者の予想通りに史上最悪の食糧危機を迎え、40億人の人間が飢えで命を失った。その際、食べるものがない人間たちは当たり前のように共食いを始めた。共食いは動物界でも広く見られる現象であり、1500種の動物で記録されている。これは全く異常なことではない。

 2026年のある日の放課後、田辺満里奈と渡貫美奈代はジュースを飲みながら屋上のベンチに座って話していた。2人の視線の先では、校庭でサッカー部が練習していた。
「ねえ、美奈代」
「なーに、満里奈」
「私、夏休みのバイトで貯めたお金で整形しようと思うんだ」
 美奈代は耳を疑った。何を言い出すのだろう。満里奈は前から抜けている子だとは思ったが、ここまでだったとは。
「え? ちょ、何言ってるの? 整形するってことは綺麗になりたいってこと?」
「そうだよ。残念ながら」
「自殺行為だよ。そんなのもわからないの」
「わかってるよ。でもさ」満里奈は美奈代の心配とは裏腹に、のんびりとした口調で答える。
「でもさ、じゃないよ。たとえば、クラスで一番人気の海老原さんや、あそこでサッカーしている広瀬くんを見てみなよ。ああいうルックスのいい人たちは、家を出たら最後。常に誰かに食べられないかどうかの戦いなの。こないだだって、海老原さん、電車の中でサラリーマンに肩を食べられたって包帯してたよ。可愛い子は私たちみたいに、時間を気にせずに外出することもできないんだから」
 地球上の人口が一気に減少したため、食糧危機は落ち着きを見せていた。ただ、共食いが日常的に行われるようになった人間の生態は変容を遂げ、求愛行為が食べるという行動につながっていた。カマキリは、メスが交尾後にオスを食べるが、人間は魅力的な異性を見ると食欲が湧く。要するに、食欲と性欲の混同だ。お昼時のオフィス街や夜の繁華街では腹をすかせた人間が多いため、容姿の優れた男女が外を歩くのは危険だ。彼らは学校に行く時以外は、親から家の中に隔離されたものだ。それに反して、満里奈や美奈代のような容姿に自信のない者は、よほど飢えた人間に会わない限りはほぼ24時間外に出ることができる。
「わかってるよ。でもさ、一度くらいはさ、男の子から獣のような目で見て狙われてみたいんだよね。別に、気をつけてれば食べられないだろうし。海老原さんみたいに、休みの日には家の中に隠れてるのとかも憧れる」満里奈が足をぶらぶらさせながら話す。
「そんなこと言わないでよ。満里奈がいなくなったら私、友達いなくなっちゃうよ」
「美奈代はモテたいとは思わないの」少し尖った口調で満里奈が返す。
「そりゃ少しは思うけどさ。食べられるのって怖いじゃん」
「そんな臆病なこと言ってばっかりだから、私たちって人気ないんだよ。一緒に整形しよう。ね? 整形しよっ」
「無理だよ、無理無理。うちの親が悲しむもん」
「わかったよ。もういいよ。そんなに言うなら私ひとりでするから」
 満里奈にはもう何を言っても無駄だった。「好きにしなよ」と美奈代は言い捨てて、学校を後にした。帰りすがら本屋に寄ると、外はもう暗くなっていた。この時間に外を歩いている者は、美奈代たちのように容姿に自信がない者しかいない。
 すると、向こうから、格好いい男の子が走ってきた。まるで、ベテラン熟年俳優の松山ケンイチの若い頃のようだ。男の子の後ろには、お腹をすかせた女子たちが今にでも飛びかかろうという勢いで走って追いかけている。
 男の子の肘には食われた跡があった。先頭を走る女子の口に血がついているのを見ると、どうやら襲われて食べられそうになったところを間一髪逃げたようだ。
 美奈代の横を駆け抜けていく彼の横顔は、気のせいか楽しそうに見えた。女子たちは歓喜と渇望の混ざった必死の形相で男の子を追いかけていった。美奈代はあまりお腹が減っていなかったが、もし自分が空腹だったら、あの群れに参加していただろう。
 ぽつんとひとり残された美奈代は、満里奈の言ったことぼんやりと考えていた。こんな遅くにひとりで歩ける私って、どうなんだろう。今日は厳しく言ってしまったが、満里奈の気持ちもよくわかる。今の男の子みたいに、異性から強く求められて命を失うのだったら、それはそれでいいかもしれない。



 結局、あれだけ言っていたのに満里奈は整形をやめた。どうやら親からの猛反対にあったらしい。親には「せっかくこんなに可愛くない容姿で生んであげたのに」と怒られたそうで、満里奈は傷ついたと言ってすねている。 
 満里奈と美奈代は今日も屋上に座って、サッカー部の練習を見つめる。
「あ、広瀬くんのこと、2組の武藤さんが狙っている。ほら、木陰のあそこ」満里奈が無邪気に指をさす。
「本当だ。今日あたり襲って食べるつもりじゃない?」美奈代が笑って言う。
「ねえ、美奈代」
「なーに、満里奈」
「私たちもさ。退屈だし、誰か格好いい男の子を食べに行かない?」
「私もそう思った。行こう行こう」
「誰も食べてくれないなら、こっちから食べちゃえだ!」
「あははは」
 満里奈と美奈代は手をつなぎながら、屋上からの階段を駆け降りる。2人の口元には美しいヨダレがキラキラと光っていた。