“は”と“そ”のあいだの音

 その年で還暦を迎える美島幸男が、居酒屋で友人らと還暦祝いのパーティを開いていた時のことだ。美島は悪友の六角達也から妙なことを聞いた。
「最近、若者の間で、“は”と“そ”の間の音が流行っているらしいぞ」
「なんだそれ? またすぐ消える流行語のひとつだろう」
「それが違うんだ。これは全く今まで日本語になかった新しい発音で、もしかしたら五十音を五十一音に変えなくてはならないほど、言語学的に大事件なのだそうだ」
「おいおい、でもさ、“は”と“そ”の間なんてとても出せないよな。ぷすー、ぷすー」
 そうなのだ。どうしても、古い世代にはそのどちらかの音しか出せず、中間の音は不可能だった。そこで美島らが、居酒屋でアルバイトをする大学生の子に実践してもらうことにした。すると、彼はいとも簡単に綺麗な発音で、“は”と“そ”の間の音を発した。


 やがて、“は”と“そ”の間の音は爆発的に波及したが、日本語の中にこの音を対する文字がないことが問題となった。暫定の応急処置として、しばらくは、“はそ”というマヌケな表記が使われた。
 若者がこの音を使う時は、「はあ」と「そう」の中間の相槌に使われるようで、彼らの無気力で無興味な時代の感情を言い表した言葉だと言われていた。たとえば、その頃流行した小説などの会話は全てこんなようなものだった。
「なんか、最近つまんなくてさ」
「はそー」
「早く家に帰ってゲームしたいな」
「はそー」
 そういうことだから、若者向けのドラマや映画でもその音ばかりが登場して、古い世代にとっては居心地が悪い。電車の中でも、「その、“はそ”っていう音やめろ!」と中年男性がキレている姿をよく見かけたものだった。
 この音を使えるのは主に平成5年生まれから下だと言われていた。そのため、この年代を、“はそ”世代と呼ばれるようになった。
 では、一体いつ、“はそ”という発音が出現したのだろうか? ある時期までは、“はそ”の創設者はいないと言われていた。どうやら静岡県を中心にジワジワと全国に広がったということまではわかっていた。
 しかし、あるバラエティ番組が冗談で、“はそ”を言い始めた人物を探したところ、あっけなく見つかった。最初に“はそ”を発音したのは、静岡県清水市に住む、当時小学5年生だった稲田守さんで、稲田さんは授業参観で緊張のあまりに、先生に指された時に「はそー」と言ってしまった。これが爆笑を誘い、学校中の流行語となり、それが全国へと伝わってきた。
 世の中が暗い話題ばかりだからというので、この噂を聞きつけた民主党は、稲田さんが授業参観を受けた日を「五十一音の日」、通称「はそ記念日」として休日にした。稲田さんは日本史の教科書に載ることになり、一躍有名人になった。
 しかし、稲田さんはどこへ行っても自分が、「あ、“はそ”の人だ」と言われるのが嫌で嫌で仕方なくて、静岡大学を卒業後、言語学者への道を進む。もしも“はそ”に変わる発音を生み出せたなら、もう自分は“はそ”の人だと言われなくなると思ったからだ。しかし、稲田さんの思いとは裏腹に、なかなか全国的にヒットする新発音は生まれなかった。

 稲田さんは96歳でその生涯を閉じたが、結局“はそ”の人のレッテルは一生拭い去ることができなかった。今もなお、数々の言語学者が新発音の開発につとめているが、“はそ”発足から160年経った今も、日本語の発音は五十一音以上にはなっていない。歴史には“たられば”はタブーだが、あの日、先生が授業参観の時に稲田さんを指していなかったら、このような発音は定着していなかったと思うと不思議なものだ。しかし、歴史なんて往々にしてそんなものである。