ももクロ小説『ももいろクローバーZ 奇跡の軌跡』

 その昔、ももいろクローバーZの面々が「将来はSMAPさんや嵐さんのようになりたい」と言っていたことが嘘のようだ。今ではその2つのグループが足元にも及ばないような存在になってしまったのだから。
 時計の針をまずは2012年に戻そう。ももクロがその年にリリースしたシングルは全て1位を記録。念願の紅白歌合戦出場も果たした。その年のリリースを羅列すると、『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』でスラッシュメタルを取り入れたかと思えば、次なるシングルでは、アフリカ音楽を代表する大御所アーティストのユッスー・ンドゥールコンゴの轟音人力トランスバンドのコノノNo.1と共作した曲『ももンバ!』で、彼女たちはアフリカチックな民族衣装を着て踊り狂った(この曲のヒットがのちにアフリカでのブレイクへとつながることになる)。そして続いて出されたシングル『More More Color』は彼女たちに惚れ込んだカニエ・ウエストが「次のキング・オブ・ポップは俺じゃなくて、Momoiro Clover Zさ」と自らプロデュースを志願し、日米同時発売。エレクトロ・ヒップホップと日本のアイドルポップが融合した、それまで誰も聴いたことにないようなポップチューンを作り上げ、歌詞に日本語が含まれているにもかかわらずアメリカでも大ヒットを記録。日本では「いまアメリカで一番有名なアイドル」として連日報道された。
 こうなると日本のマーケットも黙ってはいない。その年の秋にリリースされた30曲入りの2枚組アルバム『笑う喧嘩少女』の収録曲は前山田健一NARASAKI,ツキダタダシといったこれまでのももクロ楽曲を支えてきた面々をはじめ、デヴィッド・バーン、キング・アドロック(ビースティ・ボーイズ)、VERBAL、スチャダラパーサイプレス上野とロベルト吉野SEEDADE DE MOUSE、やけのはら、テディ・ライリー、リンドストローム、SBTRKT、ディプロ、the telephones、ミッキー・ムーンライト、マキシマム ザ ホルモンユ・ヨンジン椎名林檎石野卓球井上陽水草野マサムネ阿部義晴、口口口、やくしまるえつこ細野晴臣高城剛という攻めの作家陣を集めながらも全曲タイアップ付きだったし、CMや歌番組への露出も増え、彼女たちの姿をテレビで観ない日はないほどだった。ただ、あまりに音楽的にラジカルなことに挑んでいたため、ふだん音楽を聴かないような層の人々がまだ戸惑っていたのも事実だ。「イロモノだ」とか「奇をてらいすぎ」といった批判も絶えることはなかった。
 そんな風に、ももクロを眉をひそめながら引いて見ている人たちの態度が徐々に軟化していったのは、彼女たちが歌やダンスだけではなくトークや演技もできることに気づいたからである。大河ドラマや月9ドラマへの出演をはじめ、並みいるお笑い芸人たちと渡り合うバラエティ番組も次々とこなした。コントを含む帯番組も作られ、コント限定ライブも行われたほどだ。このとき、人々はよく「ももクロって次世代のSMAPか嵐だよね」と言った文脈の会話を口にするようになった。
 しかし、ももクロにとって本当の快進撃が始まったのはここからである。もともと彼女たちの人気はアジアでは高かったが、そこからアメリカ、そしてヨーロッパへと、まるでパンデミックのようにMomocloブームは広まっていった。さらにアフリカ諸国では、前述のシングルが爆発的ヒットを記録し、現地アーティストが同曲をこぞってカバーしたことで、ももクロの名を知らないものはいないほどの知名度を集めた。佐々木彩夏をデザインしたバービー人形“A-rin(あーりん)”モデルは世界で7200万体を売り上げ、人形が喋る「A-rin Dayo(あーりんだよー)」は世界中の子供たちの流行語となった。
 続く2013年はそんなももクロが真のワールドツアーに明け暮れた年として記憶している人も多いだろう。日本人アーティストが海外ツアーを行ったと言うと、客は全て日本からのツアー客だったり、小さなライブハウスだったりすることが多いが、ももクロの場合は先進国では全公演がアリーナクラスだったから恐れ入る。さらには大きな会場のないような途上国では野外ライブを開催、入場無料にして現地の人々たちを踊らせ、涙させた。ちなみにこの年のツアーは83ヶ国を回り、2位のU2(228億円)を遥かに引き離す326億円の売り上げを記録。同年リリースされたサードアルバム『ももクロVS地球』は全世界で1位というマドンナさえもやったことのないような記録を打ち立てた。
 ここから彼女たちは語学を習得することに目覚め、おのおのが外国語をマスターするための特訓も始める。若くて柔らかい脳は新しいことを驚くべきスピードで吸収し、特に努力家で勉強家の有安杏果は9ヶ国語も話せるようになった。エジプトでライブをやることが夢だったという高城れにはエジプトライブで終始アラビア語でMCをし、その後『ガダラの豚』を読んでハマったという理由で、スワヒリ語で呪術の勉強をした。
 こうなると、世界のメディアも黙っておらず、現地のドラマやバラエティ番組に使いたいというオファーも殺到。ただ彼女たちの体もひとつしかないため、各国のスタッフたちが日本まで撮影に来るというほどの力の入れようだった。これによりこれまで国交が薄かった国との関係も良好になり、政治家が束になってもかなわないのは明らかだった。外務省がももクロを親善大使として一生懸命日本をアピールしようともしたが、その必要もなかった。もはや彼女たちは若干10代後半にして、親善大使などという小さな言葉では括れないほどの影響力を持つ存在になったのだ。
 ここまでの存在となっても、彼女たちが誰一人天狗になることなく、変わることなく、無邪気さを失わなかったことが何よりも素晴らしいと言えるだろう。
 さらに普通なら、ここで頂点を極めたことにより、スタッフや本人たちも一息ついて守りに入るところだが、その攻めの姿勢はデビュー時と同じく一貫してぶれなかった。なんと彼女たちは次なる目標として「宇宙に進出する」という仰天のプランを発表したのだ。
 これにはさすがに反発も多かった。「我々地球人のためだけにいい音楽を届けてくれればいいのに、なぜまた宇宙なのか」「支離滅裂だ。意味がわからない」など。しかし、彼女たちはさらなる挑戦を選んだのだ。
 こうして2015年からNASAの訓練のもと、彼女たちは宇宙飛行士の特訓を受け始める。もともとNASAの人間はももクロのファンが多かったが、彼女たちと一緒に働けるということで、この年の応募者数は世界中から前年の2000倍もの人数に跳ね上がったという。
 もちろん宇宙飛行士の訓練を受けながらも楽曲をリリースすることも忘れてはいなかった。史上初となる無重力ライブも全世界に配信中継したし、NASAのチームが解析した宇宙語による楽曲もリリースした。これは地球人には誰も意味がわからなかったが、その独特な発音が耳に気持ちがいいとしてももクロ史上最高の売り上げを記録した。
 ももクロの5人は語学と同じように、宇宙飛行士の訓練を驚くべきスピードで習得していき、エリート宇宙飛行士のアンソニー・サリバンが「あんなに飲み込みの早い人間は見たことがない。毎日歌を歌いながら、アバンギャルドなダンスを踊りながら、僕たちでもなかなかこなせないようなミッションを次々とこなしているよ。彼女たちこそ天才だね。しかもそれでいて笑顔を失わないのが素晴らしい。僕らはみんな彼女たちのおかげで毎日がハッピーだよ」と絶賛した。
 そして2016年となった今年の3月、ついにももクロの5人はスタッフたちとともに、宇宙へと飛び立った。宇宙船が打ち上げられるときは、マーティ・フリードマンwithメガデスの生演奏で『猛烈宇宙交響曲・第七楽章「無限の愛」』が爆音で奏でられ、世界中の人々がその様子を固唾を呑んで見守った。彼女たちは笑顔で空に飛び立ち、まずは火星へと向かっている。こうやって書くと、ものすごく壮大なスケールの偉業にも聞こえるが、毎日USTREAMで世界中に生中継される宇宙船の中の様子は驚くほどのんびりしている。それはまるであの4年間ゴールデンタイムで視聴率トップを走り続けている怪物長寿番組『ももクロChan』のように。昨日は玉井詩織が、お気に入りの宇宙食百田夏菜子が食べたということで文句を言い続け、それを夏菜子がウヒョ顔でヘラヘラとはぐらかしている画がえんえんと放送され、人々はそれを見てホッとし、「今日も俺たちも頑張ろう」と前向きな気持ちにさせられた。