ソシローはメジャーで通用するのか?

「ほら、ソシローさんよ」
「本当だ! いやだ! かっこいい!」
 社内のOLたちからの黄色い歓声を背中に浴びながら、八橋一朗は会議室へと向かった。今日も若造が立ち上げようと画策している新規プロジェクトを“阻止”するためだ。
 八橋がなぜ“ソシロー”と呼ばれるようになったかというと、あのイチローと同じ名前であったことはもちろん、とにかく社内で浮かび上がる新しいアイデアや案件を阻止するということに対する天賦の才能に恵まれていたからだ。
 入社1年目はまだ目立たず、八橋と呼ばれながら普通に新入社員らしき仕事をこなしていた。当時の上司はその才能に気づかず、誰にでもできる退屈な事務仕事を与えて八橋を飼い殺しにしていた。しかし、2年目になったときに上司がそれまでの上村雅彦から永田新次郎に変わり、八橋に転機が訪れる。ある会議で八橋が「このプロジェクト、やめたほうがいいですよ。不確定要素が多すぎます」と言ったのを永田は聞き逃さなかった。永田は八橋の才能を見抜き、新規プロジェクトを立ち上げようとする会議があると、必ず八橋を同行させた。八橋はその独自の選球眼でプロジェクトの粗を次々と見抜き、片っ端から新しいことを立ち上げようとする者たちを葬り去ってきた。
 入社3年目には同企業初となる年間200案件を阻止することに成功し、阻止率の首位打者に輝いた。この頃から周囲の者たちが畏怖と尊敬を込めて“ソシロー”と呼び始めるようになったのである。あまりにハイアベレージなソシローの阻止ぶりを見るために、他社からも見学に訪れる者たちが殺到し、「ソシローひとりで客が呼べる」とまで言われた。
 ソシローのことを恐れて、新しいプロジェクトを立ち上げようとする者は年々減っていったが、それでもソシローは備品の注文や掃除の仕方など、変化を起こそうとする者に対しては何でも阻止を突きつけた。社内の空気は目に見えて硬直化していったが、おかげで大きなリスクを犯すことなく、この不況で他社が苦戦するなか、順調に横ばいで利益を上げている。昨年度末の社員総会では社長から7年連続となる首位打者の表彰が行われ、「キミがいるおかげで、この会社は一層安定した。我が社にとって安定こそが誇りであり財産だ。リスクや冒険を排除してこそ、日本企業の良さが出るということを忘れないでほしい」というスピーチに割れんばかりの拍手が巻き起こった。
 そしてこの日、ソシローが会議室のドアを開ける。皆が羨望の眼差しで見る。ソシローは軽やかに椅子に座り、ひと通り新規プロジェクトの説明を聞き終わると、手際よくその粗を追求していった。ソシローは目に涙を浮かべながら言う。「ご存知の通り、これが僕にとって日本最後の阻止になります」ソシローの周りの社員たちも泣いている。この華麗なる阻止ぶりをもう二度と間近で見られないと思うと、やはり寂しい思いなのだろう。
 ソシローは今期限りで同社を退職し、フリーエージェントアメリカの企業に移籍することを表明している。イチローと同じく、入社10年目でのメジャーリーグ移籍を決めたのだ。アメリカでは、新しいことを立ち上げようとする人間は周囲から応援されるという文化があるため、ソシローが行ってきた日本式の阻止が通用するかはまだわからない。彼の動きに日本の経済界全体が注目している。