スペインの牛丼太郎

 知らない国に友達がいるのもいいかもしれない。

 そう思って始めた、国際交流を目的としたSNSサイトで、3年ほど前に、あるスペイン人と知り合った。彼は名前をカルロスと言い、56歳だった。
 カルロスは郵便局員として働いていたが昨年リストラにあい、その後はしばらく無職だった。私も一昨年に48歳でリストラされて以来、アルバイトしか見つけることができずに苦しい日々を過ごしていたので、お互いメールで、海を越えて励ましあったものだ。
 しかし、人生は本当に何が起こるかわからない。カルロスは一夜にして誰もがうらやむほどの大金持ちとなってしまった。宝くじで166億円も当たったのだ。 
 その知らせを聞いた時に冗談かと思って信じなかった。Yahoo!のトップニュースにカルロスのことが書いてあるのを見て、ようやく驚いたほどだ。
 そんなカルロスが今日、日本にやってくる。私は成田空港へと迎えに行った。

 カルロスはTシャツと短パン、手ぶらという、とても166億円を持っている人間とは思えないほどの軽装でやってきた。
「ミツヨシ!」「カルロス!」お互いの顔は、写真を見ているからすぐにわかった。ただ、カルロスは思ったよりも背が高かった。カルロスも私のことを、なんて小柄な人間だと思ったに違いない。
 私はカタコトの英語を駆使してコミュニケーションをとった。
「今回はどういう目的で日本に来たんだい?」
「グルメさ」
「OK。わかった。寿司だろう? それなら築地に行くといい」
「いや、違う。寿司じゃない」
「じゃあ、何だい? 天ぷらとか?」
牛丼太郎だ」
牛丼太郎? 冗談だろ?」
「本当さ。日本に詳しい人間が、牛丼太郎の牛丼は世界一だと書いていたんだ」
 牛丼太郎と言ったら、自分の場合、金がない時に食べに行く場所だ。今はバイトの給料日前なので、昨晩も、その前の晩も食べた。結局は月の半分くらいはお世話になっているのだが…。とにかくファーストクラスで何十万円もかけて行くべき場所ではない。しかし、いくら高級なレストランをすすめても、カルロスは首を縦に振らず、結局、行きつけにしている牛丼太郎の中野店に連れて行くことになった。
 カルロスは牛丼を連続で5杯も食べ、あまりの美味さに涙を流していた。
「ああ神よ。俺が人生で食べた食べ物の中で一番美味しかった」
 これだけ食べても、2千円にも満たない。改めて牛丼太郎は安いと思う。
「スペインでは今、トマト祭りが行われているんだろ」私はニュースで観た映像を思い出して、聞いた。「それを蹴ってまでして、牛丼太郎に来るカルロスはちょっと変わってるよ」
トマト祭りは観光客向けのイベントだ。俺には必要ない」
「わかったよ。後はどこに行く予定? 京都とか、北海道とか?」
「明日の朝には帰る。もちろん朝食にもう一度、牛丼太郎を食べてな」
「そんな。もっとゆっくりしていけばいいだろう」
「俺は悟ったんだ。俺には今、余るほどの金がある。ただ、俺はもう56歳だ。時間がない。世界中の美味い食べ物を食べたいんだ。明日にはアイスランドレイキャビクに行き、世界一おいしいと言われるホットドッグを食べに行く。そこにはあのビル・クリントンも来たんだぜ」
「まったく。金持ちのやることは違うよな」

 翌朝、カルロスは本当にアイスランドへと旅立ち、その後、何日かしてからメールが来た。
レイキャビクのホットドッグは確かに美味かった。この後はブエノスアイレスのチョリソーを食べに行く。その次はカトマンドゥのモモ、その次はアディスアベバインジェラをいただく予定だ。しかしな、ミツヨシ。よく聞いてくれ。俺はこうしている今も牛丼太郎の味が忘れられないんだ。あれは宇宙一の食べ物。神からの贈り物だ。アディスアベバに行った後、また日本に行くことにしたので、今度は別の店舗にも連れて行ってくれないか?」
 まったく。なんて無駄な金の使い方をする男だとあきれながらも、自分の行きつけの牛丼太郎がここまで絶賛されることには悪い気がしない。