駅員の嘘

 柳刃寛太が東京駅の駅員として働くようになって、ちょうど半年が経とうとしていた。
 これまでは休みをもらうことなく、がむしゃらに働いてきた柳刃だったが、どうしても休みをとりたい日が出てきてしまい、柳刃は駅長室に直談判に行くことにした。
「柳刃寛太、入ります」
 駅長は時刻表から顔を上げ、柳刃を出迎えた。
「おう。柳刃君か。君はよくやってくれているね。お客様からの評判もいいよ。で、今日は何の用だい?」
「実は、10月10日と11日に仕事を休ませていただきたいのです」
「おっと。こいつは穏やかでないね。10月10日と11日と言ったら3連休じゃないか。東京駅が混雑するのは君だって想像つくだろう。よっぽどのことじゃないと、休みは与えることはできないよ。で、どうして休みたいんだ」
朝霧JAMに行きたいんです」
「ジャム? ジャムなら下のキオスクでも買えるだろう。八重洲口を出たところにあるスーパーでも売っている」
「ジャムと言っても、そのジャムじゃないんです」
「じゃあ、なんだね」
「野外フェスです。キャンプをメインにした音楽フェスなんです」
「音楽? どんな音楽だ」
「ロックとかです」
「ならん!」駅長は即座に否定した。「駅員がロックを聴くなんて、もっての他だ。駅員と言えば、演歌だ。ロックを聴くなんて絶対に許さん!」
「駅長! もう少し話を聞いてください」
 柳刃はもう少し説明しようとしたが、駅長は聞く耳を持たなかった。
「不愉快だ。駅長室から出ていきたまえ。出ていかないとセキュリティを呼ぶぞ」
 柳刃は泣く泣く駅長室を出た。せっかくイープラスの先行予約で高倍率のチケットが当たったというのに。
 駅員を辞めてでも朝霧に行くべきだろうか。いや、それでは田舎の母親が泣くに違いない。柳刃は一晩かけて悩み抜いた。


 翌朝、柳刃は退職届を持ってきた。もう一度、駅長にお願いしよう。もし断られたら、その場で退職届を出そう。そう決意して書いたのはいいが、正直まだ決めかねていた。
 駅長室のドアをノックする時はさすがに緊張した。駅長が昨日のように怒っていたらどうしよう。自分はもう一度お願いすることができるのだろうか。
 すると、予想とは裏腹に、駅長はにこやかに笑って柳刃を出迎えてくれた。
「やあ、柳刃君か。入りたまえ。昨日は悪かったな」
「は、はあ」
「実はな。私はロックと言う音楽がどんなものか具体的には知らなかったんだ」駅長はカバンの中をゴソゴソと何かを探している。「でな、昨日ロックがどんなものか、娘に聞いたら、このCDを貸してくれたんだよ」
 そう言って、カバンから取り出したのは、GLAYの『pure soul』というアルバムだった。
GLAYだ。もちろん君は知ってるだろう」
「はい」柳刃は返事に困ったが、そう答えた。
GLAYはいいな。彼らには日本人の心がある。あれは演歌に通じるものがあるよ。私はロックを誤解していた。許してくれ。で、もちろん、その何とかジャムという祭りにはGLAYは出るんだろ?」
「え、ええ」
「よし。それなら行っていいぞ。ゆっくり楽しんでくるんだな。感想を聞かせてくれよ」


「ありがとうございました。失礼します」
 駅長室を出た柳刃は、複雑な気持ちだった。ついついGLAYが出るなんて嘘をついてしまった。まだ出演者も発表していないのに。
 たぶんGLAYが出ることはないだろう。しかし、GLAYが本当に出たかどうかを、駅長がそこまで調べるとは思えなかった。柳刃の良心は痛んだが、これで駅員を辞めることなく朝霧ジャムに行くことができるじゃないか。
 とりあえずこのまま嘘をつき通そう。そして、駅長と駅長の娘さんに富士宮焼きそばをおみやげに買っていってあげよう。柳刃はそう思いながら、制服の帽子をしっかりとかぶり直し、スキップで階段を降りて行った。