ハルミとテルミのナイススライダー

 スライダー? スライダーって何?
 ほんの数分前、親友のテルミから電話があった。テルミはハルミがいつも通勤電車で会う男の子に恋をしているのを知っていて、彼についての情報を仕入れるのに奔走してくれた。テルミは探偵さながらの情報収集力で彼の高校と名前を突き止めた。そして、もうひとつ、彼はスライダーが好きらしいということも。
「あの人、友達とうれしそうにスライダー、スライダーって言ってたよ。きっとスライダーがすごい好きな人なんだって」
 テルミはうれしそうに言ってたが、スライダーって何?


 翌日、ハルミとテルミは図書館でミーティングを開き、スライダーが何かを調べる会議を行った。
「スライダーって何だろうね。男の子が好きなものだから、どうせ漫画のキャラクターとか、ロックバンドの名前だよ」
 そう言いながら、テルミは百科事典をめくる。「あった!」案外簡単に答えは見つかった。
「どれどれ、スライダーは野球の変化球だって」テルミは目を細めながらページを読む。
「野球? 野球なんて私なんにもわからないよ」とハルミ。
「でもさ、これ簡単そうだよ。直球の握りから人差し指と中指を薬指の方へずらす、って書いてあるもん。誰でもできるんだよ、きっと」
 テルミはあっさりと言ってのけ、翌日から2人のスライダー特訓が始まった。映画だったら、ここでパンチの効いたパンクロックのイントロが流れるだろう。配役は宮崎あおい蒼井優だとイメージが近いかもしれない。


 ハルミは毎日、学校から変えるやいなや、カバンを放り投げてテルミと公園に行った。「どこ行くの?」母親が聞くと、「テルミと公園でスライダーしてくる!」と言った具合に。
 その甲斐あって、テルミは生キャラメルのようにスムーズに、つるりと横滑りするスライダーを投げられるようになった。
「ナイススライダー! ハルミ、そろそろあの人に見せた方がいいんじゃない」テルミが太鼓判を押してくれて、いよいよ彼にスライダーを見せる日がやってきた。

 ハルミとテルミは彼と同じ通学電車に乗り、ハルミが勇気を出して彼に話しかけた。「次の駅で降りてくれますか」
 彼はきょとんとしていたが、女子高生2人の有無を言わせない勢いに圧倒されて電車を降りた。テルミがキャッチャーミットをカバンから出し、座る。映画だとここで巨人の星のイントロがかかる。ハルミはボールの縫い目への指のかかり具合を2、3回確かめ、ダイナミックな投球フォームで渾身のスライダーを放った。
「ナイススライダー!」テルミがパーンと言うキャッチング音とともに大きな声で言った。
「どうですか? 私のスライダー」ハルミが彼に近づく。
 すると、彼は目の前で起きている出来事が信じられないという表情で言った。「か、感動しました。女の子でこんなスライダーを投げる人がいたなんて。僕と付き合ってください」
 その言葉を聞いて、ハルミとテルミは抱き合って喜んだ。駅のホームにいた数人の学生と会社員と駅員が、彼らに拍手を送った。
 その後ハルミが付き合ってわかったことによると、彼は筋金入りのスライダーマニアで、伊藤智仁という野球選手が自分の神様だと言っていた。彼はハルミと会うたびに見せてほしいとせがむので、強烈な曲がりのスライダーを投げてあげることにしている。