冒険者狩り

 マサヨの趣味は一風変わっていた。「冒険者狩り」だ。
 彼女は海外ひとり旅をするような人間が大嫌いだった。日本人は小心者であるべきだ。そう言ったポリシーを持っていた。そのため、長期休暇には必ず、ひとり旅の人間が多く行くような国に行って、奴らに天罰を下した。それがマサヨの唯一の趣味であり、ライフワークであり、天から与えられた使命だと信じていた。
 今年の夏、遅い夏季休暇をとったマサヨはインドへと向かった。インドにはひとり旅の人間が多くいると言う。どんな天罰を下そうかと考えると、マサヨの胸の高鳴りは抑えられなかった。
 デリーの空港を降りると、ターゲットはすぐに見つかった。男だ。おそらくこれから日本に帰国するのだろう。赤いバックパックを背負って、ヒゲと髪の毛を伸ばし、堂々とした表情をしている。この表情! マサヨは吐き気が止まらなかった。なんでこの男はこんなに大きく見えるのか。日本でいろんなことに怯えながら暮らしていればいいのに。きっとこんな男のことだから、数々のトラブルにも強いに違いない。
 マサヨは男のところにズカズカと足音をさせて、近づいていった。
「あんた!」
「お、日本人ですね。これからインドですか」男は無邪気な笑顔で言う。何が「お、」だ。この笑顔にだまされる女子も多いだろう。
「そんなに堂々としているんじゃないよ!」マサヨは怒鳴った。
「え? は?」男は聞いた言葉の意味を頭の中で反芻しているようだった。
「この冒険者めが。どうせ、インドではいろいろトラブルとかあったんだろう」
 そう聞くと、男は得意になって答えた。「ありましたよ、たくさん。聞いてくださいよ。デリーで困った客引きに会った時のことなんですけど」
「うるさい! そんな話を誰でも聞きたいと思ったら大間違いなんだよ!」あまりのマサヨの声の大きさに、トイレ掃除のおじさんが目を丸くして立ち止まった。
 男はますますわけがわからないという顔をした。「すいません」
「おまえはどこの出身だ」マサヨは聞いた。
静岡県清水市です」男はまだ怯えている。
「帰ったらどうするんだ」
「仕事します」
「おう、今おまえは仕事って言ったな?」マサヨは男に詰め寄り、男は後ずさった。「仕事することとインドを冒険することは何の関係があるんだ? ないだろ! だったら、もっと憶病に生きろ!」
マサヨはポケットからゴキブリの詰まったビニール袋を取り出し、男の顔に押し付けた。男は最初、佃煮でも見るような顔で見ていたが、ゴキブリだとわかると、「ひいいい」と言って気絶してしまった。
「わかったか! これが本当の日本人の姿だ! 日本に冒険者は1人も必要がない。全国民が小心者であるべきなんだ。覚えておけよ」
 マサヨはゴキブリの袋を丁寧に男のバックパックの中に詰めた。トイレ掃除のおじさんだけでなく、欧米から来た旅行者や売店の子供たちも、唖然として2人を取り囲んでいた。マサヨは「ちょっとソーリー」と言って、その場を歩き去った。ひと仕事終えた彼女の心は晴れ晴れとしていた。


 同じような方法で、日本人のひとり旅を見ると、ことごとくお説教をし、最後はあの手この手で奴らを怯えさせた。小心者が日本人の本来の姿であり、背伸びして冒険者になるのは無駄な努力だとわからせるために。
 結局、マサヨは12日間インドに滞在し、102人のひとり旅の冒険者気取りに天罰を下してきた。マサヨは満足だった。これで、奴らが帰国した後は、冒険者としての仮面を脱ぎ捨て、小心者として生きていくだろう。そうすれば、奴らの周りにいた冒険者に憧れる者どもも考えを改めるに違いない。102人と言えば、だいたい1都道府県に2人だ。地道な努力だが、達成感はあった。
 マサヨはひとりで祝杯をあげるために、ホテルの近くのレストランに行った。テーブルに座ると、隣りの席にマサヨの心をとらえる団体がいた。団体は20人ほどいて、全員が日本人のようだった。まず間違いなくパック旅行だろう。誰もがキョロキョロと周りを見渡しながら、背中を丸めて食事をしている。インドを旅行することが不安で仕方がないと言うような面持ちだ。
 そうだ、それこそが日本人だ。マサヨが笑みを浮かべながら、その光景を酒の肴にビールを飲んでいると、団体の中のある青年が目に入った。20代後半だろうか。青年は震えていた。その目からは薄く涙がこぼれていた。マサヨは胸元に富士山のマグマが逆流するかのような感覚を覚え、青年のもとへと歩いていった。
 近くに行っても青年は泣いていた。マサヨは彼の肩に手を乗せたが、誰もマサヨには気を留めない。誰もが自分のことで精一杯なのだ。
 マサヨが青年に話しかける。「どうしたんだ。なぜ泣いてるんだ」
「怖いんです。この国。僕、言葉もわからないし」
「どうしてだ。おまえはパック旅行じゃないのか。友達か家族と一緒なんだろう」
「誰がいても一緒です。僕は1人で来たんです。いや、正確には来させられたんです。僕の親が度胸をつけろって言って、無理矢理インドのパック旅行に応募したんだ。僕はイヤだって言ったのに。車に乗せられて空港に行ったら、添乗員の人に言いくるめられて後戻りできなくなって…。それで来てみたら、このザマだ。もう怖くて怖くて仕方ないよ。もともと僕は小心者なんです。自分の住む長野県の外に出たこともなかったんです。早く家に帰りたい。地元の友達に会いたい」
 マサヨは青年の言葉を聞いて、興奮で息が詰まりそうだった。「お、おまえは日本人の鑑だ。それでこそ、日本人だ。私はおまえみたいな小心者が理想のタイプなんだ。結婚してくれ!」
 彼は一瞬泣き止んで、マサヨのほうに顔を上げた。ほんの数秒考えていたように見えた。そして言った。「はい」
 事実上の婚約だった。しかし、事の大きさとは裏腹に、周りは注目している様子はない。引き続き自分の食事のことで精一杯だった。


 2人は帰国後、本当に結婚した。マサヨは福岡県小倉市にあるアパートを引き払い、青年の住む長野県の佐久市に移り住んだ。2人で新居を借り、幸せに暮らした。
 マサヨは結婚して以来、趣味の冒険者狩りをやめてしまった。理由は、彼があまりに憶病なため、マサヨが外国に行くのはおろか、ひとときも離れてほしくないと頼むからだった。マサヨはそれでも満足だった。