初恋から始まるストレンジバンドライフ

 高3の文化祭の1ヶ月前、俺はある計画を仲間たちに話した。
「おまえのそのアイデアすげえよ」
「やろうぜ!」
「俺も賛成!」
 マサト、カズヤ、ゼンジの3人は俺の申し出に乗ってくれ、こうして俺の計画したラブ大作戦が始まった。

 文化祭の日、俺たち4人はバンドで野外ステージに出場した。この野外ステージに出るバンドは、うちの文化祭のメインイベントで、あらゆる生徒が観に来る。俺はそのことを予想して、この計画を立ち上げたのだ。
「では、次のバンド。あれ? バンド名がありませんね。謎のバンドとでもしておきましょうか。それでは、どうぞ!」
 司会者の宮田君が紹介し、俺たちはステージに立った。俺は観客を見渡し、言った。
「こんにちは。俺たちのバンド名は笹倉翔子です。では、行きます。1曲目『笹倉翔子』」
 俺は笹倉翔子の名前を何度も絶叫した。1曲目はパンク風の『笹倉翔子』だった。
 1曲目が終わり、2曲目が始まった。「では、2曲目を歌います。曲名は『笹倉翔子』」2曲目はレゲエ調だった。
 1バンドは3曲の約束だったので、3曲目が始まる前に、俺はメンバー紹介を兼ねてMCをはさんだ。
「えー、まずはメンバー紹介をします。俺の名前は笹倉翔子。そして、ギターは笹倉翔子。ベースが笹倉翔子。ドラムは笹倉翔子」
 観客は唖然としている。当たり前だ。ここで、俺はこのバンドを組んだ本当の目的を語る。
「3年6組の笹倉翔子さん、聞いてますか。俺がこうして笹倉翔子というバンドを組んだのは、あなたが好きだからです。これこそが愛の告白なのです。では、最後の曲、聴いてください。『笹倉翔子』」
 3曲目はニューウェーブ調だった。笹倉翔子本人が聞いているのかいないのかわからないが、俺は笹倉翔子の名前を再び連呼した。

 俺の目論見では、この運命のステージが終わった後に、笹倉翔子が感動して俺の前に現れ、2人の親密な付き合いが始まり、バラ色の高校3年生を送るはずだった。だが、現実は全く違った。
 笹倉翔子は自分の名前を無断使用されたことに激怒し、友人を介して俺とは二度と口を聞かないという通告をしてきた。ここまでは少しは予想できたことだ。だが、最も意外だったのは、たまたま文化祭に遊びに来ていたレコード会社の人間が俺たちのこのアイデアを気に入り、メジャーデビューが決定したのだ。
 俺もこの展開に戸惑いながらも、人生なんてこんな予期せぬ出来事の連続だとしてメンバーを説得し、この嘘みたいなうまい話に乗る事にした。ただし、笹倉翔子本人には内緒にした。これ以上怒らせて嫌われるのは正直、ゴメンだった。もしかしたら、テレビに出たら付き合ってくれるのではないかという甘い考えを持ったのも事実だ。

 しかし、事態はますます俺たちの予想外の場所に転がっていった。テレビに出演してバンドを組んだ経緯を話すと、その純愛ストーリーに多くの人が共感し、デビュー曲『笹倉翔子』はオリコン1位になった。2枚目のシングル『笹倉翔子』は2位、3枚目のシングル『笹倉翔子』は3位だったものの、ファーストアルバム『笹倉翔子』ではオリコン1位に返り咲いた。もちろん全曲のタイトルは『笹倉翔子』だった。俺たちはフジロックロックインジャパンライジングサン、朝霧ジャムに出演した。
 俺たちは目隠しでジェットコースターに乗せられたようなものだった。何がどうなっているのかわけがわからなかった。そして、ここでまた新たな問題が勃発する。
 笹倉翔子に彼氏ができた。彼氏は当然、自分以外の人間が彼女の名前を連呼するのをよく思わず、クレームをつけてきた。笹倉翔子本人もやめてくれと言ってきた。
 ここまではよかった。なんと、俺自身が別の女の子に恋をしてしまい、付き合うことになったのだ。馬飼野詩緒里と書いて、「まかいのしおり」と読む村上春樹ファンの子だった。
 俺は事務所の社長やマネージャーに相談した。もう笹倉翔子のことは好きではないから、バンド名を今の彼女の名前である馬飼野詩緒里に変えたいと。しかし、答えはノーだった。馬飼野詩緒里では覚えにくいし、キャッチーではないというのが理由だった。詩緒里は無頓着な性格なようで、「別に私の名前にしなくていいよ」と言ってくれた。
 笹倉翔子本人からもクレームが入っているということに関しては、事務所も対処の仕方に悩んでいたようだ。しかし、俺の人生はタイミングに恵まれているらしい。そんなとき、笹倉翔子が彼氏と結婚することが決まったのだ。こうして、笹倉翔子は今の彼氏の名字を取り、根岸翔子になり、騒がれる心配はなくなった。彼氏も結婚したことで、わざわざ怒る気がなくなったらしい。


 そんな騒ぎから、今日でもう10年が過ぎた。俺たち笹倉翔子は11月に通算7枚目のニューアルバム『笹倉翔子』をリリースし、来年春には10周年ベストアルバム『笹倉翔子』をリリースする。俺自身はおろか、メンバーの誰もがこんに長続きするとは思っていなかった。
 そして先日、根岸翔子から手紙が届いた。
 何やら、子供たちが俺たちの大ファンらしく、翔子が「これはお母さんのことを歌っているのよ」と言ったら、尊敬の眼差しで見つめ、学校で自慢しているらしいのだ。手紙にはお礼の言葉も添えられていた。人生とは本当に不思議なものだ。