ハマのおじさんをジャックせよ!

 ハマスタのアナウンス室を占拠した腰山は、ウグイス嬢のマイクを奪い、マイクがオンになっていることを確かめてから言った。「緊急放送です。この球場に爆弾を仕掛けました。今から僕の言う通りにしないと、一瞬で爆破させます」
 球場内の応援は叫び声に変わり、観客は右往左往しながら出口へと走って行った。グラウンド内にいた選手たちもベンチへと殺到した。
 ここまでは腰山も予測していた。何万人もの人々を統率するのは、そう簡単なことではない。
「静粛にお願いします。逃げようとしても無駄です。自分の席に戻ってください。選手のみなさんは自分のポジションに戻ってください。もし言うことを聞かない場合はこうですよ」
 雷鳴のような轟音が響き渡り、叫び声はさらに大きくなった。腰山がスコアボードに仕掛けた小さな爆弾を爆発させたのだ。
「どうですか? これで僕の言ったことが嘘でないとわかったはずです。押し合わないように、ゆっくりと自分の場所に戻ってください」
 先ほどまで騒がしかった球場内は水を打ったように静かになり、時間をかけて、観客も選手も自分のいた場所に戻った。そこで腰山が咳払いをして言った。
「ありがとうございます。僕の目的は大したことではありません。ただ、ちょっとしたお願いを聞いてください。先ほど、田代監督が、工藤投手が打たれた時に交代を命じましたが、これをキャンセルしてください」
 球場内がざわめくのがアナウンス室まで伝わってくる。
「つまり、工藤投手にマウンドに立ち続けていてほしいのです。もしかしたら工藤投手を観るのはこれで最後になるかもしれません。だから、試合終了まで工藤投手が投げ抜いて、ゲームを締めくくるシーンが観たいだけなのです。みなさんもそうではないですか?」
 観客の何人からか、賛同の声があがった。選手や審判は戸惑っていたが、爆弾の恐怖には勝てなかった。スコアボードにあった「木塚」の文字が「工藤」に戻り、不安そうな顔をした工藤が再びベンチからマウンドへと歩いていった。歓声はさらに大きくなった。
「ありがとうございます。もう僕は何も言いません。そのまま試合を最後まで続けてください」
 工藤は指示に従い、投げ続けた。それにヤクルトの打者が相対した。一時期は緊張していたように見えた選手の動きも、次第にほぐれていき、後は普通の試合になった。工藤が打たれて逆転された横浜は、8回裏に打線が爆発し、再び試合をひっくり返した。そして、9回の表、工藤がマウンドへと上がった。
 球場を異様な緊張感が包む中、工藤は打者たちを手玉にとるように、三者三振で締めくくった。爆弾が爆発した時のような恐怖の叫び声とは違う、喜びに満ちた割れんばかりの大歓声が夜空に響き渡る。記録的には工藤にセーブがついたはずだ。この試合が果たして、無効になるのか有効になるのかわからないが、腰山をはじめとする観客たちは、工藤が勝ち試合を締めくくる場面を観ることができた。


 試合終了のアナウンスをウグイス嬢にしてもらい、工藤が観客席に挨拶して回るのを見届けると、腰山は警察に向かった。自首するためだ。
 横浜関内の派出所では、警察官がラジオを聞いていた。横浜ベイスターズの野球中継だった。腰山が「すいません」と近づくと、警察官が話しかけてきた。「おう、聞いてくれよ。今、すごい奴がいたんだよ。球場に爆弾を仕掛けてな」
「僕がその犯人です。逮捕してください」
 腰山が言うと、警察官は笑った。「冗談言うなよ。嘘は泥棒の始まりだぞ」
 腰山はカバンから「アナウンス室」と書いたマイクと、爆弾の起爆装置を取り出し、警察官に見せた。彼の表情が変わった。
「本当に本物なのか」警察官の問いに、腰山はうなずいた。
 警察官は下唇を噛んで言った。「じゃあ、このまま逃げろ」
「え?」腰山は聞き返した。
「いいから逃げろって言ってるんだ。俺は生まれながらの横浜ファンで、工藤公康が大好きだ。今回おまえがやったことは犯罪かもしれないが、プロ野球ファンにとってはこんなにうれしいことはない。さっきラジオでも言ってたよ。プロ野球機構が決めたところによると、今回の一連の出来事は事件性はあるが、工藤投手の実績を考えると、見逃すべきだってな。つまりは、あの交代は本当になかったことになって、工藤にセーブがついたんだ。試合は無効じゃない。有効だ。マスコミが緊急アンケートを行ったら、おまえを支持する奴の割合は97%だってよ」
「ほ、本当ですか」
「ああ。こんなところでウロウロしていると怪しまれるぞ。そのバッグは置いておけ。俺がどっかに捨てておいてやるから」
 腰山は警察官に礼を言い、派出所をあとにした。
 そのまま関内駅まで歩いていくと、駅前の電気屋のテレビで工藤のインタビューが放送されていた。
「いやー、びっくりしましたけどね。味方が逆転してくれて、最後まで投げきれてよかったです。爆弾を仕掛けるのはいいことだとは思わないけど、面白い野球ファンもまだまだいるもんですね。おい、少年! もしテレビ観てたら、いつか俺のところにちゃんと挨拶に来いよ。このウイニングボール、おまえにやるからな」
 腰山の目頭は熱くなった。今すぐに挨拶に行かなければならない。そう思った腰山は、花屋で花束を買い、キオスクで工藤が好きだと言われるコーヒー牛乳を買い、ハマスタへの道を急いで引き返した。