俺とおまえの対談集

 高円寺にある、多少こじゃれた家庭料理屋で、紺藤篤と室伏貞彦が向かい合っていた。2人はそれぞれ、さんま定食とハンバーグ定食を食べ終わり、いつものスローで堂々巡りなトークをしていた。
「なあ、俺たち、今年でもう30歳だな」篤がまた年齢の話をし、貞彦は嫌な気分になる。無言でタバコに火をつけ、テレビの野球中継に目をやると、ヤクルトの福地が盗塁を決めていた。
 篤はそのまま続けた。「結局、何もしてこなかったな。30歳って言ったら、人生の折り返し地点だよ。あとは猛スピードで下り坂を直滑降していくだけだ。一度でいいから、何かを成し遂げてみたかったな。俺には何の才能もないけど、そんな俺にできるようなことがあれば…」
 そこまで言って、篤は何かを思い出したような顔をして黙り込んだ。貞彦は気にせずに、ヤクルト対巨人戦の行方をぼんやりと目で追っていた。
 すると、篤が低い声でぼそっと呟いた。「閃いた。閃いたぞ、おい」篤の視線は、店の本棚にある高橋源一郎山田詠美の『顰蹙文学カフェ』という本を見ていた。
「なんだよ、また一発当てるようなビジネスでも思いついたのか」貞彦が聞く。
「違うよ。俺たちも、もうそんな無茶な夢を語る年齢じゃないだろ。そうじゃなくて、この世に俺たちが生きた証を残す方法を思いついたんだよ」
「犯罪とかじゃないだろうな」
「そうなんだ。実はな…、って違うよ! 俺にそんな度胸はない。そうじゃなくてさ、対談集だよ。俺とおまえの対談集を出すんだよ。こないだテレビでやってたけどさ、今は少しくらい金を積めば自費出版とかで本を出せるんだろ? タイトルはズバリ、『俺とおまえの対談集』だ。どうだ、ストレートだろ。読む人のハートを撃ちぬくことは間違いない」
「ちょっと待てよ。俺とおまえの対談なんて誰が読みたがるんだ?」貞彦は至極まっとうな疑問を口にした。こっそりと2人の話を盗み聞きしていた、店の女主人も同じことを思っていた。
「今は読みたくなくても、これから読みたくなるようにすればいいんだよ。俺とおまえが、たまに言うバカ話あるだろ。あれを載せれば話題になるかもしれないじゃないか」
「かもしれない、よりも可能性は低いと思うけどな。まあ、どうせ暇だから付き合ってやるよ」
 こうして、『俺とおまえの対談集』刊行に向けての日々が始まった。


「あー、あー。これでいいのかな」
イコライザーみたいなのがビョンビョン動いているから、大丈夫なんじゃないのか」
 その翌日、貞彦の家で、2人は篤が買ってきたボイスレコーダーをいじっていた。
「じゃあ、始めようか。緊張するな。『俺とおまえの対談集』、第1章。行きます」篤が開始する。
「行きますじゃなくてさ、何か話を振ってくれよ」
「ああ、そうか。じゃあ、たとえば、音楽の話とかから行こうか。最近、何かよかったCDとか買ったか?」
「最近は…全然新しいバンドとか知らないな。レディオヘッドの『KID A』以来、CDなんて買ってないわ」
「おいおい、『KID A』って、いつの話だよ。それは買ってなさすぎだろ。俺だって、ニュー・オーダーの『GET READY』までは買ってたぞ」
「ほとんど変わらないじゃないかよ。しかも、ニュー・オーダーって。全然新しいバンドじゃないし。十分おっさん系だし」
「わかった。じゃあ、結論としては、俺たちは新しい音楽をほとんど聴いていない、と」
「おい、こんな話を本にして、誰か面白がるのか?」貞彦が不安を口にした。
「いいんだよ。じゃあ、次の話題は…と」篤が続ける。「恋愛とかかな? おまえ、中学の同級生の柏原純子ちゃんに同窓会で会って盛り上がってただろ。あのことを話そうぜ。どうやって告白するかとかさ」
「柏原さんの名前を出していいのか? だって、俺は別にあの子と付き合ってるわけじゃないんだし。許可とか取らないとまずいだろ」
「そうか。じゃあ、やめとくか。2人とも恋愛の気配なし、と。仕事の話はどうだ? むかつく上司の話、よくしてるだろ。加藤課長だっけ?」
「ああ、あいつ今日も俺のこと、“使えない奴だ”とか言いやがったよ。おまえのほうが使えねえーっつうの。ははは。…だから、こんな話、他人が読んで面白いのかって」
「いいから続けようぜ。あ、おまえ、確か大学生の時に1人でインド行ったよな。あの時のこと語ってくれよ」
「ああ。あれはすごかったよ。本当にすごかった。日本と全然違うんだ。全てが違ったな」
「それだけ?」
「うーん。細かいことは忘れちゃったよ。ただすごかったんだ」
「すごかっただけじゃ、読者はわからないだろ。もっと具体的にさ」
「牛が道に寝てたりとかさ、物乞いの少年がいっぱいいたりとかさ、そういうところだよ」
「それは俺でも映画とかで観たことあるな。『スラムドッグ$ミリオネア』だっけか。それよりもっと個人的なハプニングはないのかよ」
「客引きに騙されたくらいだな。あとは特にないよ」
「そこに少女の怨念がおんねん!」突然、篤が大声をあげた。
「なんだよ。いきなり。びっくりさせるなよ」
「おまえの話が面白くないからさ、ダジャレでも言おうかと思ったんだよ」
「悪かったな。つまらなくて。じゃあ、おまえが面白い話をしろよ」
「わかった。じゃあ、明るい話をしよう。夢の話だ。俺たちの夢は何だ? この話題なら2、3時間軽く盛り上がるだろ。俺の夢はさ、ミュージシャンだな」
「おまえ楽器できないだろ」
「まあ、いいじゃんか。語るのは自由だろ。おまえは何だよ」
「飛行機のパイロットだな」
「あーあ、言っちゃった。30歳の未経験がどうやってパイロットになるんだよ。うちの親父がプロ野球選手になるのよりも難しいぞ」
「おまえが言えって言ったんだろ」
「はあ」篤はため息をついた。「なんか盛り上がらないな。俺たちの対談なんてこんなものなのか」
「こんなもんだよ」貞彦は言う。
「わかった。じゃあ今日のところは終わりにしよう」そう言って、篤はボイスレコーダーのスイッチを止めた。
「今日のところは、ってまだやるのか?」
「ああ。続きは明日だ。明日はドラマの話をしようぜ。それなら絶対に盛り上がるだろ?」篤は手元にあった紙に、「ドラマ ロンバケとか」と筆圧の強い文字でメモをした。貞彦はそれを見て、深いため息をついた。