正義の味方はいつも正しい

「ユウト、待った?」
 キララが息を切らせながら駆け寄ってきた。2人は風を切って歩き出す。ユウトは通行人が振り返るのを背中で感じていた。
 ユウトとキララは今をときめく佐藤通信社の社内で知り合ったカップルだった。2人は同期で、入社後ユウトは営業課に、キララは秘書課に配属された。容姿が端麗だった2人は、すぐに先輩からの誘惑攻撃の餌食になった。しかし、2人は他の異性には全く興味がなかった。お互い一目惚れだったのだ。どちらからと言うことなく付き合うことになった2人は社内のビッグカップルとして羨望と嫉妬の視線を浴び続けることになる。しかも、ユウトは営業でトップの成績を叩き出し、キララは有能な仕事ぶりで社長の第一秘書になったため、自分たちがこの会社を支えているという意識を持つようになっていた。
 実際、この2人が抜けてしまったらどうなってしまうのか。他の社員もそう思っていた。そのため、上司からはかわいがられたし、後年に入社してきた後輩たちからもカリスマ扱いを受けていた。常に2人がどんな仕事をするのかに注目が集まる、いわば社内のファッションリーダーのような存在だった。
 お互い仕事が忙しいため、デートの日は毎週金曜日に定めていた。この日はユウトが予約した、水槽のあるダイニングバーで食事をすることになっていた。
しかし、キララが今一番行きたいお店だと楽しみにしていたはずなのに、彼女の表情は少し曇っていた。
 予約席に座ると、ユウトが聞いた。「どうした、キララ。気分でも悪いのか」
「実はね…」キララが言葉を搾り出す。「会社に変な人がいるのよ」
「誰だ? 吉井か? 長瀬か?」ユウトはキララに好意を寄せていると思われる同僚たちの名前を出した。
「吉井さんとか長瀬さんじゃないわ。名前は知らない人なの。たぶんSEとか、そっち系の人だと思うんだけど」
「ストーカーでもされたのか」
「ううん。ストーカーとかじゃないんだけど。私とその人は仕事が終わる時間が近いのか、帰りのエレベーターで一緒になることが多いの」
「何だ。ナンパでもされたのか」ユウトは身を乗り出して聞いた。怒りが抑えられないようだった。
「歌を歌うのよ」
「え?」
「いつも歌を歌っているの。それでね、視線も変なの。どこか現実じゃない世界を見ているっていうか、ボーッとした顔をして歩いているのよ。しかも、服装も変なんだから。ヨレヨレのスーツばかり着ていて、ネクタイも見るたびに曲がっているの。ねえ、怖いでしょ? 私の気持ちわかるでしょ?」キララは涙ぐみながら、自分の不安をユウトに吐露した。
「ああ。そいつは気持ち悪いな。よし、この俺がなんとかしてやるよ。来週の月曜、19時半に迎えに行くからさ」
「仕事、そんなに早く終われるの?」
「ああ。キララのためだったら、ちゃっちゃっと仕上げるよ」ユウトの歯がキラン!と輝いた。


 そして、翌週月曜日の19時半、キララが秘書課を出ると、廊下にユウトが待っていた。
「ユウト!」キララがうれしそうに笑う。
「どいつだ?」
「あ、あの人よ」キララがエレベーターの方を指さすと、その先には確かにその男がいた。本当に服装はヨレヨレで、よくわからないメロディを口ずさんでいる。
「本当だ…。気持ち悪い奴だな。俺にまかせろよ」ユウトがその男に近づく。
「ユウト、無茶しないでね!」キララの声が背後から聞こえた。
「おい、おまえ。会社の中で歌とか歌ってるんじゃねえよ」いきなりユウトはその男を殴りつけた。
 男は頬に手を当て、怯えた表情をした。「な、何ですか? 僕が何したんですか?」
「おまえみたいな反社会的で気持ち悪い奴がいるから、キララが怯えてるんだよ!」ユウトがもう一発男を殴る。男は壁に後頭部をぶつけた。
「そのメロディ、何なんだよ。ダサいアーティストのだったら許さないぞ」
「メロディって何ですか?」
「おまえ。いつも変な歌、歌ってるだろ」
「ああ。別に…誰のというか、頭の中で浮かんだメロディですけど」
「はあ? ふざけんなよ。そんなわけないだろ。おまえは作曲家かっていうの。夢見るユメ子ちゃんじゃねえんだからよ」
 ユウトは男の頬にキックを入れた。ユウトは小、中、高とサッカー部のエースストライカーだった。
「これで少しは懲りただろ。わかったら、もっとちゃんとした服装で会社に来いよ。次に歌っているところを見たら、ただじゃおかないからな」
 男は逃げるようにエレベーターに乗って帰っていった。
「ユウト、格好良かったよ!」ユウトは抱きついてきたキララを強く抱きしめた。


 しかし、ユウトの警告にもかかわらず、男の不審な行動は終わらなかった。服装は変わらず、歌を歌うこともやめなかった。ユウトは何度も暴力で制裁を加えたが、自分の行動が他人にどんな不快感を与えているのか、わかっていないようだ。キララの不安は日に日に強くなっていった。
「ねえ、ユウト。助けて。あの人、どっかおかしいんだよ。せっかくユウトがあんなに注意しているのに。このままじゃ私、会社に来るの怖いよ」
「わかった。暴力で言うことを聞かないなら。最後の手段がある」
 ユウトの言う最後の手段とは、男を強制的にクビに追いやることだった。幸いなことに人事部の部長はユウトのことを気に入ってくれたから、要望に耳を傾けてくれた。
「でもね、ユウトくん。あの人はすごく仕事のできる人なんだよ。社内の風紀を乱しているという理由だけでクビにするのはちょっと…」
「いや、違うんです。あいつはそれだけじゃなくて、会社の金も横領しているし、ネットで社内の悪口も書いているし、こないだは電車の中でも痴漢もしていたんですから」ユウトは思いつく限りの嘘を並べた。
「ほ、本当か!?」部長はすぐにユウトのことを信じた。「そいつは許せないな。社員の風上にも置けない奴だ。よし、わかった。本日付で彼を解雇しよう」
 ユウトはその知らせを聞いて、「ひゃっほう!」と飛び上がって喜んだ。そして、すぐにキララを非常階段に呼び出し、男が無事にクビになったことを告げた。
「ユウトが私の事を守ってくれたんだね。うれしい…」キララは感激のあまり、号泣した。それをユウトが厚い胸板で包み込む。
「ああ、もう心配はいらない。これで、少しは仕事もしやすくなるさ」そう言って、ユウトとキララは熱い熱いキスを交わした。それを偶然見てしまった掃除のおばさんが、なんてまぶしい2人なんだろうと目を細めた。