スーパースター、帰郷する

 同級生でF1ドライバーの田中が地元に帰ってくるというので、町は大騒ぎになった。
F1ドライバー田中順平くん 故郷の太田原町に帰ってきてくれてありがとう」という垂れ幕が商店街の至る所にかけられている。
 田中のクラスの同級生たちは、田中を囲んでの飲み会を計画していたが、田中はこれを拒否した。ひとりひとりとゆっくり話したいので、面接方式にしたいと言うのだ。飲み会の幹事役をつとめる予定だった和久田泰司は、拍子抜けをくらった。田中は都会人だろうから、町で一番予約のとりにくいステーキ屋をとったというのに。キャンセル料は田中が払うそうだから、和久田の懐が痛まないでよかったが。

 面接会場には、町の公民館が選ばれた。クラス全員が待合室に集まり、ガヤガヤと再会を喜び合っている。さすがに10年も経つと、誰だかわからなくなっている者もいる。
 1人に与えられた面接時間は約5分と告げられていた。5分で果たして何を話すのだろうか。誰もがそんな疑問を思った。そして、出席簿順に1人目の赤田新一が呼ばれた。
 赤田は、時間通り5分ほどで帰ってきた。みんなはさっそく赤田に群がり、面接室で何が行われたのかを聞いた。
「田中はテレビで観るのと同じだったか?」
「サインもらう時間あったか?」
「おめえのこと覚えてたか?」
 それらの質問の集中砲火を浴びながら、赤田は答えた。「いやー、テレビで観るまんまやったな。サインは勘弁してくれって言っとったよ。俺のことは完全に忘れとったな」
「じゃあ、何を話してたんや?」3人の子の母である柳美智子が聞く。
「いやー、それが田中がずっとF1の話をしとってな。俺は正直、全然わからんかったけども」
 それを聞いた一同はみな不思議そうな顔を浮かべた。
「なんやそれ。ひとりひとりと再会を楽しみたいなんて言っとって、自分のF1の自慢話か」クラスのガキ大将だった高瀬栄治が言い、周りもうなずく。
 その後もひとりひとりが面接室へと呼ばれていったが、男女問わず誰もが同じ感想だった。
「本当にF1の話ばっかりしとったよ」
「眠りそうになるのをこらえるのが大変だったわ」
「サインもらえんのなら、帰ったほうがいいかもな」
 出席番号が多い人間は、自分の番が回ってくるのが嫌な気持ちになっていた。中には本気で帰ろうとしたものもいたが、田中のマネージャーらしき人物に止められた。面接へのプレッシャーで腹痛を起こす女子もいた。
 そして待合室に苦しげな沈黙が充満した後に、遂に出席番号が最後の和久田が呼ばれた。和久田が「お邪魔するぞ」と言って、ドアを開けると、そこに田中がいた。テレビのスポーツニュースで観るのと全く同じだった。
「ひさしぶり」和久田が言った。
「ひさしぶりだね」田中はそう言ったが、目は笑っていなかった。たぶん覚えていないに違いない。
「俺の名前、覚えているか?」和久田が意地悪な質問をする。
 田中が手元にある資料にさりげなく目を落として、言う。「えっと、わくたくんだろ?」
「いや、“わぐた”だ」和久田が訂正する。
「ああ、そうだった。すまないね。君の読み方は、昔からよく間違えられていたもんね」田中が笑っていない目で適当な弁解をし、話題を変えた。「ところでさ、こないだの僕のレースは見てくれたかな?」
「いや、見てないけど」
「そうかそうか。あれ、けっこうキツかったんだよね。道路のコンディションもよくなかったからさ。1本目のヘアピンカーブの時にさ、ここで一度勝負かけておかないと、絶対あとで抜くのはきついと思ってね。それで、あの瞬間に全てを賭けた。そしたら…」
「うるせえや。何言っとるんだよ」和久田が田中の話を止めた。
「いや、だからこないだのレースの話だって」
「そんなことを言いに、おめえ、わざわざ地元まで帰ってきたのか?」
「そうだよ。みんな懐かしいじゃない」
「誰も覚えてないのにか? 誰だかわからない人間をひとりひとり呼び出して、挙句の果てには自分の仕事の自慢話か?」和久田が一気にまくしたてる。「おい、何が目的なんや。言ってみろや」
 田中がため息をついて言った。その表情は打って変わって厳しさを増していた。「せっかく、この俺様が帰ってきてやってるのに、その言い草はないだろう。こっちは生死の境を毎日さまようような激しい人生を送っているんだ。ああそうだとも。誰のことも覚えちゃいないよ。ただ、おまえらだって、俺のことなんて、中学の頃は知らなかっただろう。影が薄かったからな。今こうやって有名になったから、チヤホヤしてくれるんじゃないか。俺はそんなおまえら全員にじっくりと自慢したいんだ。みんなでワイワイ飲んじゃったら、ひとりひとりの反応がわからないだろう。だから、こうやって面と向かって自慢話をして、その表情を見るのが好きなんだよ」
 和久田は田中が背負ってきたものの重さを見た気がした。気の毒に見えた。「そっか、悪かったな。そんなことを考えていたとは知らんかったよ。もう言わねえからさ。存分に自慢してくれ」
「もういいよ。5分が経過した。こんなに俺の本心を見せたのは、君が初めてだよ。名前はなんて言ったっけ。わくた? わぐた?」
「わぐただ」
「なんでもいいや。どうせ次来る頃には、俺は君のことを忘れてるからさ。また来年も来るつもりだから、黙って俺の話を聞いてくれよ」
「来年も来るのか」
「当たり前だ。こんなに楽しいことはない」田中はテレビで見せるのと、同じような完璧な笑顔を浮かべた。


 その年を皮切りに、田中は本当に毎年帰ってきた。そして、同じように面接室に個別で呼び出し、自慢話をした。みんな田中が帰ってくると言うと、うんざりとした顔をして、その日は旅行などの予定を入れる者もいた。出席者はだんだん少なくなっていった。
 しかし、和久田は違った。あそこまで田中の本心を聞いてしまった以上、なんとなく自分だけは聞き続けてやろうと思った。それが活躍する有名人への、同級生としてのせめてものサポートなのかと。もちろん田中は殺人的に忙しい男なので、和久田に本心を語ったことすら忘れているかもしれない。その証拠に、相変わらず何かに憑りつかれたロボットのように機械的に自慢し続けた。
 田中は結局、70歳になってF1を引退した今でも、あの迷惑な自慢話大会を毎年行いに帰ってくる。同級生たちも、一時期は様々な理由をつけて欠席することが多かったが、50歳あたりを過ぎた辺りから、再び出席率がよくなった。待合室で同級生たちと再会できるのがうれしいのだ。田中の自慢話はそのおまけだった。わずらわしく感じるのはとうの昔に通り越していた。それはまるで、病院の定期健診のようの感覚だ。「柳さん」と名前を呼ばれ、「はあい」と答えてから、自慢話を5分間聞きに行く。冷静に考えたら、何も辛いことはない。いつのまにか、誰もが田中が帰ってくる日を楽しみにするようになっていた。