リゴムゴの賛美歌

 ある晴れた日の午後だった。美枝子が面白い図鑑でも買おうと本屋を訪れると、八百屋の角で仲良しの芳美の父親に会った。父親の名前は思い出せなかった。2人が会ったのは20年ぶりのことだった。
「ああ、誰だっけ」芳美の父親は一生懸命美枝子の名前を思い出そうとしているようだった。
「伊原です」美枝子が答えると、「ああ、ああ、ああ」とわかっているのか、わかっていないような声を出した。
「芳美ちゃんは元気ですか」美枝子は他に聞くこともないので、芳美について聞いた。芳美と美枝子も、もう10年ほど会っていなかった。
「行方不明なんだ」芳美の父親の言葉に美枝子は驚いた。てっきり、あんな真面目な子だったから、とっくに結婚して子供がいると思っていたのに。
「そうなんですか…。手がかりはないんですか?」
「ひとつだけある」芳美の父親は自信に満ちた表情だった。「こないだ、あいつの部屋を漁っていたら、あるカセットテープが出てきた。その中には、芳美の歌う外国語の歌が入っていたんだ」
「それを聞かせてくれませんか」美枝子は言い、芳美の家にお邪魔した。家に来るのはそれこそ25年ぶりくらいのことだった。
 父親がテープを再生すると、確かに芳美が聞いたことのない言葉で歌っていた。
「英語じゃないですよね」美枝子が聞いた。
「わたしは英語もわからないが、たぶん違うと思う」
 美枝子は芳美の父親に頼んでテープを借り、テレビの人探し番組「あの人はどこへ?」に送ってみた。番組からはすぐに返事が来て、美枝子と芳美の父親はテレビから芳美の帰還を求めた。その際に、美枝子が「これが唯一の手がかりです」と言って、テープに入っていた芳美の歌う曲を流した。
 すると、スタジオ内に設置した電話が一斉に鳴り出した。しかし、そのどれもが芳美の居場所を告げるものではなく、芳美の歌う曲によって、病気が治ったとか、子供が泣き止んだとか、止まっていた時計が動き出したとか、そういったものだった。
 あまりの大反響ぶりに、芳美の歌う曲はすぐにCDとして発売された。カタカナで書き写した歌詞カードがつけられたが、誰もその意味はわからなかった。タイトルは「リゴムゴの賛美歌」と名づけられた。サビの部分で、リゴムゴ、リゴムゴと歌っているように聞こえるからだ。なぜ賛美歌かというと、メロディが崇高な印象を与えるからだろう。
 「リゴムゴの賛美歌」はヒットし、勝手な訳詩をつける者が出てきた。ある者は人類の終末論を説いたものとし、ある者はUFOを呼ぶ暗号だとし、ある者は幼児の言葉遊びに過ぎないと言った。しかし、誰が騒ごうとも結局、結論はわからずじまいだった。
 

 人々が「リゴムゴの賛美歌」の熱狂を忘れ去った頃、芳美はふらりと帰ってきた。青森県蕪島にひとり旅に行ったら、そこに住む神主に気に入られて同居していたということだった。芳美の父親からの連絡を受けて会いに行った美枝子は、まず「リゴムゴの賛美歌」のヒットを知っていたかどうかを聞いた。芳美は知らなかった。芳美の住んでいた島にはテレビやラジオもなく、そういったヒット曲が聴ける環境ではないと言っていた。
 美枝子は「リゴムゴの賛美歌」がヒットするまでの顛末を話し、この数年間一番聞きたかった、歌詞の意味について聞いた。すると、芳美は黙った。そして言った。「それについては、今は話せない」
 美枝子は芳美に、からかうのはやめろと言った。この何年もの間、気味の悪い思いをしてきたのだから、なんとかしてくれと懇願した。しかし、芳美は首を縦に振らなかった。
 そんな2人のやりとりを見て、父親は「もういいじゃないか。芳美が帰ってきてくれだのだから。あの歌のことはもう誰も覚えていないよ」となだめた。
 何度も食い下がろうとしたものの芳美は折れず、美枝子は結局あきらめることにした。やがて2人は疎遠になり、美枝子も歌のことを忘れてしまった。芳美と美枝子が天寿を全うした後も、人々はたまに「謎の歌」としてその曲のことを話題にしたくらいだった。