踊れ!胃と2

 荻窪の古本屋ですごく変なタイトルの小説を買いました。
 それは『踊れ!胃と2』。
 『2』ということは『1』があるのでしょうか、ないのでしょうか。作者の名前はキシリア・ザビと書いてあるけど、そんな小説家の名前は聞いたことがない。こういう正体不明なものに出会えるから、古本屋めぐりはやめられないんですね。
 さっそく読んでみることにしましょう。

 舞台はフランスのコルマールという町。とある教会で日曜日のミサが行われているところから物語は始まる。ここで主人公の少女、アレクシアはみんなで賛美歌を歌っている最中に突然踊りだす。せっかく厳かな気持ちで歌に集中していたものだから、周りはビックリして、アレクシアを教会の外に連れ出す。そこでアレクシアは大人の仕打ちに納得がいかずに泣き出す。アレクシアは賛美歌のリズムに気持ちよくなって踊りだしただけなのだ。
 アレクシアの胃は、じっとしていられないようにできている。人とテーブルに向かって真面目な話をしていたりすると、すぐに胃が痛くなるから、せわしなく部屋を動き回る。なので、その動き回ることの大義名分となるような音楽がかかったりすると、嬉しくて嬉しくて仕方がなくて踊りだしてしまうのだ。それは、ミサの最中だろうと、授業中だろうと、電車の中だろうと、おかまいなしに。
 しかしながら、コルマールは小さな町だけに、そこに住む人々はまるで日本人のように、出る杭を打つようになる。アレクシアを落ち着きがない子として、部屋に軟禁して踊れなくなるようにされてしまう。そこで家族たちの熱心な、けれどもアレクシアからしたら嬉しくもなんともない教育の甲斐あって、アレクシアは音楽が鳴っても踊らない子になる。
 それ以来、アレクシアは元気がなくなってしまう。そんな時の家族は勝手だ。自分たちでアレクシアの元気の芽を摘み取っておいて、「陰気くさい」だの、「悪魔にとりつかれている」だの好き放題に言われるようになる。そして、アレクシアは家にいるのが耐えられなくなり、カフェで働き始める。
 カフェでは陽気な音楽が毎日かかっていたが、家族の教育のおかげでアレクシアは踊れなかった。踊ろうとすると、怒られることが怖くて胃が痛くなってしまうのだ。かわいそうな、アレクシア!
 そんなアレクシアの前にある青年が現われる。名前はエクトル。彼はアレクシアを初めて見た時に言う。「君の胃はとても我慢しているみたいだね」。エクトルは医者だったのだ。エクトルはアレクシアの胃を診察し、今のままだと大変なストレスがかかっているから体がもたないと言う。でもアレクシアはどうしたらいいのかわからない。
 そこでエクトルはアレクシアの胃に、毎日毎日音楽を聴かせてあげる。そのジャンルはなんでもいい。ジャズであれ、シャンソンであれ、ロックであれポップスであれ…。すると、アレクシアの胃は再び音楽のもとで踊りだすことを思い出し、体全体に「踊れ!」という命令を出しはじめる。あとは、その胃の命令に従うだけでいい。アレクシアはカフェで踊りながら働くようになる。「ウエイトレスが踊りながら働くなんてけしからん!」という客もいたが、アレクシアはもうそんな人たちのことを気にすることはなかった。彼女にはエクトルがいたからだ。エクトルとアレクシアは結婚し、アレクシアはエクトルの理解のもと、それが町のどんな場所であっても、たとえお葬式のようなシリアスな状況でも、踊ることを奨励してくれた。
「君には、どんな状況でも踊るべき強さがある。その明るさで、太陽のように僕のことをいつも照らしていてくれないか?」プロポーズの言葉はこうだった。こうして、アレクシアはエクトルと幸せに暮らしながら、自分の胃とともに踊るのだった。


 この本を読み終わった後、涙が止まりませんでした。人間は誰でも人に見せられない秘密があり、それを理解してもらえないことで孤独の闇に引きこもってしまう。それを全て包み込む他者が現われることで、彼もしくは彼女は前向きに生きることができるのです。
 この本が『2』だというのなら、『1』は一体どんな話なのでしょう。私はネットで検索しても見つからなかったので、コルマールという町に実際行ってみることにしました。
すると、そこには作者のキシリア・ザビさんがいました。私はキシリアさんに聞きました。「『1』はどこにあるんですか?」
 キシリアさんは言いました。「あの話は『2』しかないの。実はね、私はオドレイ・トトゥのファンで、この小説が映画化した際には彼女に出演してほしいがばかりにこのタイトルにしたのよ。ごめんね、くだらない動機で」
「いえいえ、全然! 私もふざけて小説を書いて、山Pが主人公を演じてくれたらいいなーって考えたことありますよ」
「あなたは優しいのね。きっとあなたもアレクシアのような素敵な出会いがあるに違いないわ」
 私はキシリアさんに会えたことが嬉しくて、『1』がないことはもうどうでもよくなってしまいました。オドレイ・トトゥという人が誰なのかよくわからないけど、いつか映画化されることを遠い日本から祈っています!