声かけカードの乱

「おまえ、結局今まで、いったい何枚のカードもらったの?」
 雄介は川沿いの土手に腰掛けながら、隣りに座る征男に聞いた。
「うーんと、70枚かな。全部捨てちゃったけど」
「70枚? だったら講演会2回できたな。バイトする必要なかったじゃないか」
「講演会なんて面倒くさいよ。別に金なんてそんなにほしくなかったし」
「あーあ、モテる奴のセリフだよ。それは」
 雄介は、自分が唯一持っている声かけカードを大事そうに風になびかせながら言った。


 声かけカードの法案が可決されたのは、一昨年の6月のことだった。史上初となる帰国子女総理大臣となったアメリカ出身のレオナルド・マツモトが真っ先に通したもので、彼の言い分は、「日本人の少子化を改善するには、シャイであることから脱しないといけない」というものだった。マツモトはアメリカ育ちらしく、「アメリカでは普通にカフェや路上で出会いが起こる。日本のように合コンや婚活パーティに頼ることはない」と事あるごとに言っていた。そして彼がひねり出したのが、「声かけカード」だった。日本では、誰かに命令されたり、社会の流れがある一方に傾かないとなかなか行動しにくい。そのため、政府の命令であるという大義名分のもとで、声かけを奨励すればそれが広まるのではないかとマツモトは考えた。
 声かけカードは、申請すれば誰でも役所でもらえることができた。使い方は至って簡単だ。カフェでも路上でも、気に入った異性がいたら声かけカードを渡せばいい。そうすれば、カードを渡された相手は最低3分間会話に応じなくてはならない。もし拒否したものには軽い刑罰が下った。3分間でお互いの何がわかるのだ?と思われる方も多いとは思うが、時間は関係ない。要はきっかけさえあればいいのだ。このナンパ奨励とも言える法案のおかげで、若者の結婚率が3倍以上に伸びた。
 これにより、モテる人間の前には行列ができたりする日もあった。声をかけられる方からすればいい迷惑だ。それゆえ政府は、もらった声かけカードが30枚たまった人には「なぜ私がモテるのか」という講演会を開いてもらうことにした。これにより高額なギャラが発生するため、モテる=金になるという図式ができあがり、モテる人々からのクレームがなくなった。しかもモテない人間からすれば、モテる人間の秘訣が聞けるということで一石二鳥だった。
 日本人は一度受け入れると吸収するのはものすごく早い。あれよあれよという間に、声かけカードは国民にとってなくてはならないものとなった。他国でも、特にシャイが美徳とされるアジア系国家で爆発的に広まり、Koekake cardの言葉は万国共通となった。
 しかし、今月11日にレオナルド・マツモトが飲酒運転で逮捕されたことがきっかけで、反マツモト派からの声かけカードへの風当たりが強くなった。次に総理大臣に選ばれた古山古男が超保守的な人物で、「日本人たるもの奥ゆかしくあるべし」をスローガンに、ナンパを敵とみなし、お見合い文化の復活を約束した。
 いまや日本人の恋愛にとっての命綱と言える声かけカードがなくなることで、 若者たちはこれに猛烈な反発を示し、各地で暴動が起きた。これを歴史上、「声かけカードの乱」と呼ばれている。しかしながら、新政府は頑として方針を曲げず、ついには声かけカードは無効となってしまったのだ。


「これももう、ただの紙きれになっちゃったんだよな」雄介が太陽にカードを透かしながら言う。
「ああ」征男が答える。
「でもおまえはいいよ。ほっといてもモテるから。俺はどうすればいいんだ? この声かけカードがなかったら、女の子に声をかけるなんて無理だよ」雄介の目は潤んでいた。
「じゃあさ。俺が今度、合コン企画してあげるよ。そこでだったら声かけられるだろ?」
「マジで? ほんと頼むよ。おまえは頼りになるなあ。合コンか、懐かしいなあ。それだったら声かける自信があるよ。ああ安心した」ほっとした雄介は大きく息を吐き、ありがとよレオナルド・マツモトーと言いながら、名残惜しそうに持っていた声かけカードを川に投げ捨てた。