マンホール守の恋

 今年で68歳になる間野守男が、石川県鳥越村の「マンホール守」をつとめて50年が過ぎようとしていた。間野は夜7時になると家を出て、夜が明ける朝の5時頃までロマンホールを守り続ける。
 マンホールには様々な人間が集まってくる。誰にも言えない悩みをマンホールの中に言うことで発散する者もいたし、親にも友達にも見せられないようなものを捨てに来る者もいた。守男はそんな彼らのことを温かい目で見守ってきた。
 村の人々は、守男がマンホールのそばで息をひそめているのは知っていた。ただ、誰も声をかけようとしなかっただけだ。高校を卒業するとすぐに、「僕はこの村のマンホールを守る」と言って聞かなかった守男。親も最終的には説得を諦めて、たとえ収入がなかろうと、自分たちがこの世を去る日までは息子の好きにさせてあげようと決めた。こうして守男は誰にも邪魔されることなく、マンホールの番人であり続けたのだった。
 では、守男はマンホールを何から守ってきたと言うのだろう。灯台守であれば、灯台が航路標識としての役割を果たすために灯台の維持管理をするという立派な仕事がある。船にとって灯台はなくてはならないものだ。しかし、守男は特にマンホールを磨くでもなく、維持管理するでもない。イタズラする人々のことも咎めることもなく、ただ見守り続けたのだ。
 ひどい時には少年たちから唾を引っかけられたり、女性から恐怖の悲鳴をあげられた日もあった。それでも、どんなことがあっても、守男は決して不平不満を発することはなかった。
 だが、守男にはわかっていた。マンホールを見守る理由は、こっち側の問題ではなく、あっち側からの侵入者を守るためなのだ。彼は小さい頃に受けた啓示で、マンホールからやってきた邪悪な「何か」が人類を滅ぼすと言われていた。それなら自分が守らなくては、と使命感に燃えたのだった。


 その夜も静かな夜だった。またも無事に朝が来ると守男が安心していた矢先に、その徴候は起こった。普段は静かに眠っているはずのマンホールのフタがカタカタと音を鳴らし始め、その隙間から紫色の光が漏れていた。守男は急いで駆け出し、マンホールのフタの上に乗った。守男がマンホールのフタに触れるのはこれが初めてだった。
 向こう側から押し出される力は予想以上に強かったため、守男は全身を道路に投げ出し、たるんだ腹の肉でマンホールのフタを押さえつけた。何度も巨大な力に押し戻されそうになったが、そのまま3時間ほど守男は頑張り続けた。すると、太陽の光が差し始め、マンホールのフタはおとなしくなった。
 守男は力尽きてそのまま眠ってしまった。村の人々は、自分たちの命を守男が守ってくれたことも知らずに、マンホールの上で眠りこける守男のことを指をさして笑い続けた。
 

 しかし、そんな守男の偉業を影で見守っていた人物がひとりだけいた。村一番の美女と言われる美波花代だった。花代は悪夢を見たことで眠れなくなり、散歩に出ていた。村を一周だけしようと思って歩いた。守男がマンホールのそばに毎晩いるのは知っていたから、そこだけは早歩きで通りすぎようと思ったが、何かいつもと様子が違った。見たこともないような気持ち悪い色の光がマンホールの隙間から沸騰するかのように漏れていた。見てはならないようなものを見てしまった気がして、花代は引き返そうとした。すると、守男がマンホールに飛びついたのだ。そのまま、守男がフタと格闘するのを、花代は心の中で応援し続けた。花代は守男のことをそんなに好きではなかったが、自分たちのために戦っている姿は感動的で格好良く見えた。
 今は逆に、大きな戦いを終えて眠る守男を、悪く言う村の人々のほうが格好悪く見えた。花代はそのまま守男が起きるまで待ち続けた。そして空がオレンジ色に染まりだした頃、守男が目を覚まし、それに気づいた花代は守男に声をかけた。
「あなたが地球を救ったのね」
「夢じゃなかったのか」
「そうよ。わたしはちゃんと見ていたの。疲れたでしょ。今日は家に帰って眠りなさい」
「え? そしたら誰が今晩マンホールを見守るんだい」
「今夜はわたしが見守るわ」
 花代の言葉に守男は驚いた。こんな美しい人が、マンホールを守るなんてあってはならない。それは自分のような醜く年老いた男の仕事なのだ。
 しかし、花代はこう言った。「あなたさえよければ、わたしと結婚してくれませんか。これからは2人で一緒にマンホールを守っていきましょう」
 守男は耳を疑ったが、断る理由などなかった。いや、むしろ守男は花代に恋焦がれていたのだ。こうして2人は結婚し、マンホール守として人類を謎の脅威から守り続けたのだった。