ウメボシ(=ジョン・マッカーシー)

 ジョン・マッカーシーがいつも通勤に使う電車では、車内で弁当を食べる人が多かった。ジョンは目をつぶって、その弁当の具を当てるのが趣味だった。この日もジョンの予想は快調で、見知らぬ人が食べているものを次々と的中させていった。
 食べ物というものはたいてい音でわかる。トゥルトゥルと吸えばスパゲッティ、サクサクと言えばフィッシュ&チップス、ズズズと言えばクラムチャウダーといった具合に。しかし、そんなジョンも聞いたことのない音が耳に飛び込んできた。
 その音はメリッ、メリッと、まるで腐ったバナナの皮の上を滑っているような奇妙な音がした。ジョンは自分のプライドに賭けてでも当てなくてはならないと意気込み、一生懸命その食べ物が何なのか考えた。
 しかし、ジョンは結局その食べ物が何なのかわからなかった。仕方がない。これだけは避けたかったが、あとは目を開けてその食べ物が何か見るしかない。そう思って、ジョンは屈辱に身を震わせながら目を開けてみた。
 すると、そこには内臓のような色をした、不気味な食べ物があった。しかも、そのアジア系の乗客は、その内臓だけをおかずにライスを食べていた。ジョンの好奇心は抑えられなくなり、ついにその内臓が何なのかを聞いた。
「すいません。英語は喋れますか」
「少し」男性はスモールと答えた。
「その食べ物は何ですか」
「ああ、ワミブスです」
 ワミブス? よく聞き取れなかったので、ジョンはもう一度聞いた。すると、ワミブスではなく、ウメボシとのことだった。
「どういう味がするんですか」
 そう聞いたが、男性は意味がわからないようだった。「テイスト、テイスト」と言っても、「テイスト」の単語の意味がわからないらしい。しびれを切らしたジョンは、一口食べさせてくれというジェスチャーをした。すると、男性は笑い、「イエス、イエス」と言って、なんと鞄から内臓がたっぷり詰まった瓶をジョンに渡してきた。ジョンは手づかみでその内臓をピックアップし、口に入れた。ジョンの記憶はそこまでで終わっていた。



 ジョンが目覚めると、そこは病院の病室だった。親戚や家族、友人たちが彼のことを囲んで、見下ろしている。恋人のリンダは彼が目を開けたことを確認すると、涙を流して喜んだ。「ジョン、おお私のジョン」
「み、みんなどうしたの? こんなに集まって」ジョンはグルリと皆の顔を見渡して言った。
「おまえは2週間も目を覚まさなかったんだよ」父親のシェーンが答えた。
「何をされたのか覚えてないかい?」母親のブリジットが聞く。
「うーん、電車の中で何かを食べたんだ。内臓のようなものを…」
 そこまでジョンが言うと、見知らぬ男性が「それだ!」と言って病室を出て行った。後から聞いたところによると、その男性は警察とのことだった。
 ジョンが大物政治家シェーン・マッカーシーの息子だということもあって、捜査は迅速かつ大々的に行われ、ジョンにウメボシをすすめた男性が逮捕された。「政治家の息子がアジア人に毒殺未遂! 国家間紛争に発展か?」という見出しが新聞を躍った。
 しかし、この容疑もやがて晴れ、ウメボシが毒ではなく、アジアでは普通に食べられているものだとわかると、アジア人の男性は釈放された。彼の国籍は日本で、名前はコバヤシと言った。コバヤシはジョンが泡を吹いて倒れたのを見て、驚いて逃げたとのことだった。
 この事件以来、好奇心旺盛なイギリス人たちはウメボシをこぞって買いに行った。一時は行列ができて売り切れる店が続出したほどだ。
 しかし、やはりその異常に酸味がかった味はイギリス人には到底受け入れがたく、失神する者や精神錯乱などを起こす者もいた。度胸だめしや罰ゲームなどにも使われた。
 そこでイギリス政府は、国内の混乱を防ぐために、ウメボシの輸入を全面禁止した。すると、イギリス在住の邦人と日本政府から抗議の炎があがった。イギリス人たちは、日本人がなぜここまでこんなワイン色の腐臭物にムキになるのか理解できなかったが、二国間の摩擦をなくすためにも、やがてその輸入禁止もゆるやかに解除されるに至った。
 しかし、それ以来イギリス人でウメボシを食べる者は誰もいなかった。イギリス人はまだ数年前のジョン・マッカーシーの事件による衝撃が忘れられず、事件から十数年が過ぎた今でも、ウメボシのことをそのままジョン・マッカーシーと呼ぶ者がいると言う。