サムトキン詐欺に気をつけろ

 空気中の成分の中に、海苔とよく似たサムトキンという物質が発見された。サムトキンは0.0000000025%と怖ろしく微量ではあるが、人体への影響は大きい。生物はサムトキンを吸うことで、悪夢を見ないように抑制がかかっているのだ。つまり部屋の換気が悪かったりして、サムトキンが不足した時に人々は悪夢を見る可能性が高くなる。逆に空気中にサムトキンがなくなってしまうと、我々は毎日悪夢を見るという、まさに悪夢のような世界になってしまうのだ。
 チリやチベットなどの高地ではサムトキンが不足し始めており、現在は毎日の悪夢に悩まされた民衆が不満を爆発させ、治安が悪化しているという。このニュースを受け、ネスレファイザーなどの多国籍企業はこぞってサムトキンを商品化し始めた。すると、マスコミがその重要性を煽ったためか、この不況下にも関わらずサムトキンは爆発的に売れてしまい、生産が追いつかなくなってしまった。ネットオークションなどでは200倍を超える価格がつけられ、サムトキンを持っている人々が襲われる「サムトキン狩り」という事件も頻発した。
 これはそんな状況下で起こった、ある市井の人々の生活の1コマである。


 タクシーを運転する鏡亀太郎は、連日の悪夢に悩まされ睡眠不足が続いていた。このままだと鬱病を発症し、運転をすることができなくなると医者から警告を受けていた。しかし、鏡には家族があったため、働かなくてはならない。この日も鏡は眠い目をこすりながら、自分のテリトリーである町田駅界隈をグルグルと回っていた。
 人通りが少なくて、別の駅に場所を移そうと思っていた時、ある女性が手を挙げているのが目に入った。鏡は車を停車させ、女に行き先を聞いた。女は西武池袋線の江古田方面まで行ってくれと言った。
 鏡はいつもの癖で女を観察した。女はパンツスーツをキリッと着こなしており、外資系企業に務めるOLだろうと予想できた。顔立ちも聡明そうに見えた。女はカバンから何か箱を取り出したが、そこには「サムトキン」と書いてあった。
 気付いたら鏡は車を急停車させていた。女に向かって怒鳴った。「それはサムトキンだな。今すぐ、それをよこせ。でないと、この車に乗せたまま誘拐してやるぞ」
 女は怯えた表情を見せ、言った。「お安い御用です。運転手様。幸いなことに私の会社の景気はよく、年収も同世代の何十倍ももらっているため、こんなものを買うのは屁でもありません。どうか、ご自由にお使い下さい」
 女からサムトキンを手渡された鏡は、その場で口の中に放り込んだ。すると、途端にまぶたが重くなり、運転手に座ったまま眠りこけてしまった。


 夢の中で鏡は、月収2000万円を稼ぐカリスマドライバーになっていた。日野にあった自宅を田園調布に引っ越し、自宅のガレージには外車が6台も停まっていた。こんなに順調なイントロは久しぶりだ。
 しかしなぜか、鏡の妻はサムトキンを渡してくれた女だった。鏡は身体を緊張させた。女は鏡に向かって、「おまえはわしが食べるのじゃ。たんまりと太るのだよ」と言っていた。女はグリム童話に出てくるような、ヒキガエルのスープをグツグツと煮ていた。
 そこで鏡は悲鳴をあげて目を覚ました。サムトキンを飲んだのに、全然悪夢を追っ払えてないじゃないか! 鏡がそうクレームをつけようと後ろを見ると、女はもういなかった。鏡の手元にあったはずの、残りのサムトキンもなかった。鏡はがっくりと落ち込んで、エンジンをかけようとすると、ガソリンが空になっていることに気付いた。しかも、嫌な予感がしてメーターの中を料金箱を開けると、そこには1円もなかった。鏡のポケットに入れてあった2000円も抜き取られていた。
 やられた。鏡は自分の愚かさを悔いた。あの女は今流行りの「サムトキン詐欺」という手口を使ったのだ。金を持っていそうな華やかな洋服を着て、こっそりとサムトキンを見せる。そうすると人々は、その女の持つサムトキンが本物であることを疑わず、女からサムトキンを奪おうとするが、その中には睡眠薬しか入っていないという魂胆だ。
 鏡は全身に激しい疲れを感じていた。このままだと運転中に居眠りしてしまいそうだったので、そのまま運転席で再び眠りに落ちた。しかし、何度も悪夢を見てうなされたため、結局眠ることはできなかった。