しまちゃんの日

 島野社長がまた妙なことを言い出した。毎月27日を「しまちゃんの日」として、社員に祝ってほしいというのだ。27日と言うのは社長が小学校で野球部に所属していた頃、憧れの古田選手の背番号27をつけていたからで、「しまちゃん」と言うのはその時のあだ名だそうだ。ちなみに会社内で、社長のことをしまちゃんなどと呼ぶ人間はいない。
 笛美はこの社長の提案にあきれてしまい、どうせ誰も協力する人間などおらず、いずれは自然消滅するだろうなと思っていた。しかし、そんな彼女の予想とは裏腹に周りは割りと乗り気のようだった。
「しまちゃんの日か。いいネーミングだね。なんか最近バラバラになりつつあった会社内の空気がまとまりそうじゃないか。しかも我々が“しまちゃん”と、カジュアルな呼び方をすることで雇用者と経営者の距離も縮まる。社長もうまいこと考えたもんだよ」笛美の上司の安田課長が絶賛する。
 周りの社員たちも同じだった。ある者は自発的に替え歌を披露すると言い、ある者は手品を見せると言った。記念すべき最初のしまちゃんの日は、社員たちが近くのホテルの宴会場を予約し、盛大に行われた。笛美は体調が悪いと言って欠席したが、なんと笛美以外の全社員が出席したという。
 翌月からは笛美の非協力的な姿勢に対し、あからさまに文句を言う社員が出てきた。
「なあ、梶原。おまえ次のしまちゃんの日、何をやろうと思ってるんだ」安田課長が聞く。
「何って。何もするつもりはありませんけど」笛美の答えに、周りが耳をそばだてているのがわかる。
「おまえなあ。先月は体調不良ごときで欠席しておいてどういうつもりだ。もっと社長の厚意に対して、誠意を持って応対しようぜ」
「たとえば、何をすればいいんですか」
「プレゼントを手作りするとかさ。あとは、おまえ学生時代に木琴を習っていたというじゃないか。それで1曲くらい弾いてみろよ。うちの会社では木琴が出来る人間は俺の知る限りおまえ以外いないから、かぶることはないと思うよ」
「どうしてもやらなくちゃダメですか」
「命令ではないよ。ただ、社員としては当然のことだと思う」
 しかし、笛美は課長の忠告に反して、またも体調不良を理由にしまちゃんの日に欠席した。すると、ますます旗色は悪くなっていくばかりだった。
 しばらく経つと社員たちの話題はしまちゃんの日で持ちきりになった。1ヵ月に1回のイベントだから、いろいろと仕込んでいると、すぐに次のしまちゃんの日がやってくる。しまいには課長が、行き当たりばったりだと満足のゆくものが用意できないから、1年後まで催し物を決めようということで意見が一致した。お陰で部署の連絡用ホワイトボードには、来年のしまちゃんの日まで内容がびっちりと書き込まれている。
 笛美は周りからの圧力に負けて、一度だけしまちゃんの日に出席したことがある。当日は何もやらないつもりだったが、課長から手を引っ張られて壇上に立たされて、カラオケを歌わされた。手ぶらで来ていたのに、課長からこれを渡せとオメガの時計を持たされ、社長に手渡した。その瞬間、笛美はこんな会社にいてはいけないと思い、退職を決意した。
 
 
 笛美が会社を辞めた後、偶然道端で安田課長に会ったことがあった。課長がどうしてもと言うので、スターバックスでお茶をした。
 笛美は、なぜ課長が自分なんかとそこまで話したがっているのか疑問に思ったが、やがてその答えもすぐわかった。課長はリストラされ、現在仕事を探しているので、笛美にどこか働き口がないか?と聞いてきたのだ。聞くところによると、笛美と課長がいた島野テックは不況のあおりを受け、ほぼ半数の社員が解雇されたとのことだった。
「お気の毒ですね」と笛美が言うと、課長は「自分に実力がなかったんだよ」と言った。
 笛美は残念ながら課長に働き口を斡旋できないことを詫び、その場を去ろうとした時に、気になっていたことを聞いてみた。
「あのー、課長。ところで今でもあの、しまちゃんの日ってやってるんですか」
「おお、もちろん現役はもちろん、OBでもやってるよ」
「OB?」
「ああ。OBというか、要は今回リストラされてしまった元社員の面々だな。いつもしまちゃんの日の数日前になるとお互い集まって、少ない金を持ち寄ってプレゼントを買い、社長のところへ持参するんだ。今まで本当にありがとうございましたって感謝の気持ちを伝えるんだな。現役の頃みたいに盛大には祝えないけども、こないだはお前も知っている庶務課の柳沢が小島よしおのモノマネをして大ウケだったぞ。おまえにも見せてやりたかったな。あ、そうだ、おまえ来月のしまちゃんの日にサプライズで来ないか? みんなきっと懐かしがるぞー」
「けっこうです」笛美はそう言って、走り去るようにその場を後にした。同情するのは悪いと思いながらも、安田課長やその他のリストラされた人たちのことが気の毒で、ため息が止まらなかった。