とてつもなく滑りやすい廊下

 新宿三丁目にあるファミリーマートはちょっと特殊な造りで知られていた。表通りに面している入り口はなく、隣にある大手生命保険会社のエントランスに一回入って、そこから左手にある短い廊下を突き進むと辿り着くことができる。保険会社の就業時間が終わった後も入り口は開いており、24時間入ることができるというわけだ。
 しかし、この廊下がクセ者だった。とにかく滑りやすいのだ。一歩歩くだけで足元をすくわれ倒れてしまう。距離にしてほんの20mくらいだったが、まともに歩いて進める人間は皆無だった。たいていの人間はここで入店するのを諦め、店長や店員を罵倒しながら他のコンビニに行くのだった。そして、そこから200mも離れていないセブンイレブンに行き、最初からこっちにしておけばよかったと安心するのだ。
 では、なぜこのような理解に苦しむ難儀な廊下をそのままに放置しているのか。それはファミリーマートの店長の仕業だった。店長の名前は葛城と言った。葛城は最近の客のモラルの低さを嘆き、入り口にちょっとした試験を設けたのだ。その試練を乗り越えるほどガッツがある人間だったら、たいていのことでクレームはつけないだろうと考えたのだ。
 そんなバカな…と思われる人は多いかもしれない。だが、実際にこの思惑は成功していた。このファミリーマートと、200mも離れていないセブンイレブンに寄せられたクレームの件数を調べると、2006年〜2008年の3年間で前者がたったの7件だったのに対し、後者はなんと564件も寄せられていた。
 また、強盗に関しても同じだった。ただでさえ慌ててパニック状態の強盗は、滑る廊下で2,3回滑ったら臆病風に吹かれて引き返してしまう。こちらもデータを見てみると、ファミリーマートがこの3年間、強盗が0件だったのに対し、セブンイレブンは6件もあった。
 このデータを極秘で入手したコンビニ会社は、葛城店長の後に続いて、店の入り口を滑りやすくした。つまり、あなたの近所にあるコンビニの入り口が不自然に滑りやすくなっていたら、このファミリーマートのデータを反映させたものだと思っていい。
 そしてもうひとつ、男子諸君には耳寄りなデータもある。このような過酷な状況でもかまわず来店したがる客は、他の店に来る客と顔つきがまるで違った。他の店に来る客が無目的に虚空を見つめ、呆けたように口を開けているのに対し、ファミリーマートに来る客は口を真一文字に結び、意志の固さが顔面のそこらかしこに現われているのだ。そのため、アルバイト先での偶然の出会いを求めている女子学生たちは、どうせ出会うなら意志の強い男と考え、ファミリーマートでのアルバイトを希望した。この3年間で、客と店員から交際、そして結婚へと発展したカップルは非公式ながらも数件の報告例があるという。