たったひとりの暴力ショー

 2010年代前半、マスコミが予測するよりも早く深刻な草食男子化現象が進み、地球上から暴力という暴力が消え去った。誰かが努力してそうなったわけではない。いつの日か、人間の本能から人を傷つけたいとか、物を破壊したいという欲求が消え去ってしまったのだ。当然、国家間の戦争はおろか、子供同士の喧嘩すら見られなくなった。「それは体罰だ!」と声を荒げるPTAも必要なくなったし、DVに悩み苦しむ女性たちも解放された。
 それならば!と、暴力が消え去り出した当初に、ビジネスチャンスを狙った人々が暴力描写をちりばめた映画やゲームを発表したりもしたが、これらはちっとも売れなかった。もはや人々には暴力に憧れたり、求めたりする気持ちもなくなっていた。
 しかしそんな中で、東京都練馬区に住む小宮修斗という名の少年は1人で「暴力ショー」という名の興行を行っていた。小宮が暴力に魅せられたのは、2000年代に活躍したある格闘家の試合のDVDを観てしまったことがきっかけだった。小宮は脳天を雷で撃たれたような衝撃を受け、この感情は一体何なんだろうかと親や先生などに説明を求めた。しかし、誰もその感情を説明できるものはいなかった。
 小宮は友達に、そのDVDを見せて布教活動を行おうとした。しかし、誰もその映像を見ても何も感じないようだった。格闘家という人々は歴史の教科書に載るようなジャンルの職業でもないので、人々はそんな職業がこの世にあったことすら忘れていた。小宮はそんな現状を憂い、ひとりで暴力をこの世の中に広めるための行動をとった。まず高校を卒業した小宮は、アルバイトして貯めたお金で小さな小屋を作った。そこに「小宮修斗の暴力ショー」という看板を掲げ、ひとりで舞台にあがり、暴力というものを観客に見せようとした。しかし、何年もの間、客はひとりも来なかった。ひとりもだ。
 そんな小宮だが、決して暴力をあきらめることはしなかった。それはなぜだかわからないが、きっと自分がこの感情を後世に伝えなかったら、暴力という行動を人間がとっていたことが永遠に忘れられてしまうのだろう。小宮は怖かった。それだけはしてはならないと思った。ゆえに、友達や親から「金にならないことはやめてくれ」と言われながらも、空いた時間でアルバイトをし、そのお金を全て暴力ショーにつぎ込んだ。
 もしこれが映画や小説だったなら、小宮がじいさんにでもなった時に、暴力ショーを初めて見に来た人がいてもおかしくなかっただろう。しかし、現実は違った。人々は本当に、まるで暴力というものに興味を示さなくなっていたので、小宮が倒れるまで誰1人とショーを見に来るものはいなかった。親や友達ですら見に来なかった。
 小宮はショーで自分の身体を痛めつけていたために、晩年は身体がボロボロだったという。暴力がなくなって以来、人々の平均寿命は15歳も伸びたのに、小宮は28歳という圧倒的な若さでこの世を去った。
 そして小宮の予想通り、人々は本当に暴力というものを忘れ去ってしまった。その後、地球上には誰1人として小宮のような人間は現われなかった。