口内炎魔神

 2031年のドラフト会議で阪神タイガースの1位指名を受けた佐々木清志郎プロ野球で結果を出し、ついには海を渡りメジャーリーガーとして活躍することになった。アメリカ側は、キヨシローが呼びにくいということでニックネームを用意してくれと佐々木本人に注文をつけてきた。佐々木は忌野清志郎が亡くなった日に生まれたため、ロックファンだった父親に清志郎と名づけられた。そのため佐々木は、「ジャパニーズロックスターではどうか」と提案したが、アメリカでは清志郎知名度が低いということで難色を示した。そこでアメリカ側から提案してきたのが、「30年前にカズヒロササキという男がダイマジンという愛称でメジャーで活躍した。なので、○○魔神はいいのではないか」ということだった。
 ササキは悩んだ。自分は何の魔神なのだろう。自分の勝負球はナックルだから、ナックル魔神にしようか。しかし、それでは芸がない。自分の特徴は何なのだろうか。そんな袋小路に迷いこんでしまった佐々木は父親に電話で聞いた。
「なあ、父さん。俺の特徴を一言で表すと何かな」
「そうだな。おまえは小さい頃から口内炎に悩まされてきたから、口内炎魔神がいいんじゃないか」
 父親のその言葉を聞いて、佐々木は決意した。そうだ。俺は子供の頃から、そして今でも口内炎に苦しめられている。そしてこの痛みに負けないためにハードなトレーニングを積んできたから、初心を忘れないためにも口内炎という名前を名乗り続けよう。
 佐々木がアメリカ側に口内炎魔神はどうかと言うと、アメリカ側はそれはどういう意味だと聞いてきた。佐々木はバイリンガルの友達に事前に尋ねていたから、「canker sore、もしくはstomatitisだ」と言った。すると、アメリカ側は甚だ理解しかねると言った声で、「OK。その意図はよくわからないが、君の意思を尊重しよう」と言ってきた。そういった経緯で、佐々木清志郎メジャーリーグで「Kounaienmajin」という長ったらしいネーミングでデビューするに至った。
 デビュー当初は「Kounaienmajinはどういう意味だ?」という問い合わせが殺到したため、佐々木が登板するたびに、佐々木の口内炎で荒れた口の中の映像をアップでオーロラビジョンに映し出すことにした。すると、痛みを嫌うアメリカ人は「ウーウ」というため息で球場を包んだ。佐々木は順調にメジャーリーグを代表するクローザーとしての活躍を続け、痛みの代名詞となった。
 そして、いつしか佐々木は、口内炎を治療する薬や、麻酔の入ったのど飴のCMなどに出演するようになっていた。アメリカ人の中には「canker sore、もしくはstomatitis」という単語すら知らない人が多く、口内炎のことをササキと呼ぶ者も出てきたほどだ。

例文
「なんか最近、ササキがちょっと痛いんだよね」
「うわ、それ大変だね。ササキが出ているCMの薬を買ってきたら」