野田クールの歴史

 地球温暖化が進行した影響により地球上からブドウが絶滅した。他にもいくつかの果物が絶滅したが、ブドウは特別だった。ブドウがなくなるとあれば、ワインがもちろん作れなくなる。ワイン党の人々は途方に暮れ、朝から晩まで泣きはらした。漫画の『神の雫』や映画『サイドウェイ』などは、ワインというものを風化させないためにと、歴史的な遺産にされた。
 地球上に残っていたワインには破格の値段がつけられ、金持ちの間で取引されたが、20年も経つと人類はこれを飲み干してしまった。
では、今までワインに人生を賭けていた人々はどこへ行ったのだろうか。その答えはアイスクリームだった。アイスクリームは保存が難しいということもワイン党のコレクター魂を刺激した。適度な柔らかさで保存することができるアイスクーラーなる冷凍庫が発明され、人々は年月を置いたアイスを慈しんだ。
 この空前のアイスブームにより、脚光を浴びるようになったのがデンマークスウェーデンといった北欧諸国だった。ノルウェーはなぜか漁業のほうに力を入れたいということでブームには乗らなかった。しかし、この決断が20年もすると財政的に大きな後退となり、のちに国民からの批判を受けることになる。
 スウェーデンの人気ブランド「メッセルカ」は、二次発酵とマロラクティックを得意とした製品を作った。デンマークの人気ブランド「ホホビー」は、補糖と補酸、炭酸ガス浸漬法などの特殊な醸造技術において独自性を発揮した。人々はこれらのアイスを食べて、「酸味が素晴らしい」「舌の上でマシュマロがとろけるようだ」と絶賛し、社交場などで噂した。
 しかし、そんな北欧諸国の人気ブランドを押しのけて、驚異的な価格で取引される超プレミアアイスがあった。それが「野田クール」だ。
 野田クールは千葉県野田市で生まれたアイスクリームで、かつては小山田さんという農家が自宅で作り始めた宅録アイスだった。小山田さんは凝り性の人で、自身の地下室で作ったアイスを何日も醸造させ、味わいを倍増させた。最初は小山田さんがインターネットのオークションなどで販売していただけだったが、この味が口コミで広がるやいなや注文が増え、それに興味を持った野田市が、ぜひとも市で全面的に支援するので一緒にアイス作りをしてほしいと依頼した。こうしてスポンサーが着いた小山田氏は心おきなく地元でアイス作りに励むようになった。
 ここまで書くと、小山田氏のアイス作りの技術が優れていたゆえに人気が出たと思われる方も多いだろう。しかしながら、千葉県野田市の暖かくも寒くもない気候など、アイス作りに最適な環境が揃っていたのも確かだ。野田市には何もなく、ゴルフ場と森の遊園地くらいしかないが、このようなのんびりした環境がアイスにいい影響を及ぼしたのであろうと言われている。やはりアイス作りをするには静かな土地に限る。
 こうして野田クールの人気は海を超え、30年前の2010年ものなどは今や50億円という価格で取引されているという。海外から来る観光客はもはや東京などには興味を示さない。まず成田空港に着くと、京成成田から徒歩で成田まで歩き、そこから成田線に乗り、我孫子常磐線に乗り換えて柏で東武野田線に乗り換えて野田市まで行くのだ。
 そういう私も実は野田の生まれだが、小さい頃からさんざん野田クールを食べて育ったため(価格の安いものは庶民でも買うことができる)、あまりありがたみは感じない。しかし、外国などに行って「野田から来ました」と明かそうものなら、ぜひ野田クールを送ってくれと頼まれてしまうのだ。