モグラ体操コンフィデンシャル

「ねえ、チカ。早く行こうよ」
「ちょっと待って。この仕事だけ終わらせたら行くから」
「じゃあ、先に行ってるよ」
「うん、そうしてくれるかな。ごめんね」
 この2人、チカとアキはモグラ体操のレッスンに向かおうとしていた。今、OLたちの間で大流行しているモグラ体操は一体何なのだろうか。
 モグラは視力が弱いが、手の感覚が鋭敏なのと、鼻の嗅覚も優れているため、目で見える世界にのみ頼ることなく生きていられる。そこである日、政府は、現代人はパソコンや携帯電話の見すぎで目が疲れているため、もっと目を安めるように国民に通達した。そこで政府が提案したのが、このモグラ体操というもので、モグラのように指先と鼻、そして勘のようなものをもっと鍛えて、目に頼ることのない生活をしようと言うものだった。最初は何をバカなことを言っているんだと政府をせせら笑っていたが、おしゃれな芸能人やショップがこぞって、モグラ体操がクールだホットだと騒ぎ始めると、やっぱりやってみようかなと多くの人々が飛びついた。
 モグラ体操の一般的な形というものは特に定まっていない。基本は目をつぶって体操をするだけでいいのだ。
 チカが10分ほど遅れて到着すると、すでにアキはストレッチを始めていた。
「そろそろ始めますよ」というインストラクターの森山緑茶さんの声がジムにこだまする。そして森山さんがモグラ体操のBGMである、土を掘り起こすザクッザクッといった音をかけると、皆おもむろに目をつぶり、モグラが土を掘っているようなイメージで宙を掻き始めた。モグラ体操のよいところは誰もが目をつぶっているため、上手とか下手とかがわからないところにある。恥ずかりがり屋の日本人はまず人にどう見られているかを気にするが、こおの場合まったく人目を気にしなくていいため、それもひとつの爆発的流行を生んだ原因だろう。
 チカとマキは2時間たっぷり汗を流し、帰りに大戸屋で定食を食べながらお喋りを楽しんだ。
「やっぱりモグラ体操をやると身体の調子がいいよね」チカが言った。
「そうだね。私もだんだん上達してきたかな。最近、家でも練習してるんだ」
「えー、マキも? 私もやってるよ。目をつぶってると、テーブルの上の食器とかよく落としちゃうけど」
「あー、私もやるやる。こないだなんか、ストーブにぶつかって灯油が床に飛び散ったよ」
「それ危ないって!」
「でもさー。本当にこれで指先の感覚とか嗅覚とか鋭くなるのかなあ」マキが誰もが不安視していることを口にした。
「私は鋭くなっていると思うよ。こないだなんか、彼氏がにんにく食べてきたの、すぐ当てたし」比較的信じやすいチカは、いつもモグラ体操の有効性を熱弁した。
「そうかなー。なんかこれ、ちょっと陰謀っぽい気もするんだよな」
「何よ、陰謀って。あんたスパイ映画の見すぎなんじゃないの」
「私ね、このモグラ体操をやってから視力が落ちた気がするの。目を使う時間が少なくなると、退化するんじゃないのかな。モグラはきっと、目が見えないから地中に潜ったんじゃなくて、たまたま土を掘る才能があったから地中にいたら、そのうち目が対価していったんじゃないかな。だからさ、きっと政府は私たちの目を使えなくしたい理由があるのよ、きっと」
「何よ、それ。気持ち悪いなあ。それで政府が何の得をするって言うの?」
「電力とか? そうして私たちの目が退化してくれば、電気も使わなくて済むでしょ。そしたら圧倒的に電気代が浮くから儲かるじゃない? 私の予想だと、10年後の日本の夜は真っ暗だわよ。それで私たちの子供たちは手探りと鼻だけを頼りに、夜が来るのを不安に思いながら歩き回るの」
「むちゃくちゃなこと言ってるね。マキ、仕事のしすぎで頭のネジがゆるんでるんじゃない?」

 この2人の会話を聞いて、隣でさんま定食を食べていた男は急いでコンピュータのデータを確認していた。中野アキ、22歳、OL。こんな一般人の中にも、陰謀に気付く者がいるとは…。さっそく政府に報告し、この女を逮捕、そして隔離しなくてはならないと男は思った。