見えないダンスホール

 日高好太郎は、通行人がみんな自分のことを見ているような気がした。君も、そこの君も。ユーもユーもユーも…。でも、もしも今、彼らが日高のことを見て笑っているということは、みんなバカということなんだ。かすかな優越感にしがみつきながら、恥ずかしさを押し殺して日高は福井駅前の商店街で踊り続けた。


 日高はもともとすごくプライドが高い男だった。いつも他人のことを馬鹿にしていないと気がすまない性質で、決して周りからは好かれてはいなかった。そんなある日、日高は仕事の部下の野口と西田から言われた。
「日高さん、駅前の商店街にバカには見えないダンスホールがあるって知ってました? 場所はカレー屋とソースカツ丼屋の前あたりらしいですよ。いやー、僕らバカだからそういうの全然見えないんですけど、日高さんなら見えるかなーと思って」
 日高はそんなバカなことがあるかと思った。まるで「裸の王様」じゃないか。でも、これがもし本当だったらどうしよう。そのダンスホールが本当にバカには見えないダンスホールだったとして、それが自分には見えないとバレたら末代までの恥だ。それに、この2人は自分の直属の部下で、この出来事の収拾方法によって今後の尊敬のされ方が変わってくるというものだ。
「ああ、噂には聞いたことあったけど、まだ行ってなかったなあ」
 日高がそう言うと、2人はニヤリと笑い、どんなダンスホールかどうしても知りたいから描写してくれと頼んできた。こうして昼飯を食べたら、そのままダンスホールまで行くことになった。
 問題の場所にはダンスホールなどなかった。いや、もしかしたら見えなかったのだろう。日高はそれを悟られるとまずいと思い、一生懸命空中に何かがあるような不自然な視線を投げ、そのダンスホールに見とれている芝居を打った。
「へえ、こんなのいつのまにできたんだ? 福井市もなかなかやるじゃないか」
「やっぱり見えるんですね」野口が言った。
「さすが日高さんだ」と西田。
「じゃあ、どんな外観しているか詳しく説明しれませんか。僕、せっかく地元にそんな立派な施設ができたのに、知らないのが悔しくて悔しくて」野口が甘えるような声を出す。西田は横でうなずいた。
「そうだな。外観は赤を基調にした、アール・デコ調のデザインだね。エントランスには木とコンクリートがうまく配置され、和洋折衷の感じをうまく出しているな。おや、なんだか花束がいっぱい届いているみたいだぞ。EXILEとLL BROTHERSと中西圭三じゃないか。みんな有名な人ばかりだな。このダンスホールへの、東京からの期待の高さがうかがえるよな」
「へえー。すげえ。どんな音楽が聞こえてきます?」笑いをこらえながら、西田が聞いた。
「え? 音楽か? そうだな。このベースの音は…ソウルだね。あとはムーディなJ-POPだ。君たちのような若い子たちが女の子に声をかけるには、すごくちょうどいいテイストの音楽だと思うよ」
「マジっすか? すげえ踊りたいなあ。日高さん、先に行って踊ってみてくださいよ」野口が言った。
「え? 君たちが行けばいいじゃないか」
「俺たちはダンスホールが見えないから、どうやって踊っていいかわからなくて怖いんですよ。だから日高さんが先に行って踊ってくれれば、後から合流させてもらいますよ」
 野口がそう言い、西田が「そうですよ」と煽った。
 日高はもはや、後には引けないことを悟った。「わかったよ。でも、踊りは得意ではないんだがな」そう言って、ダンスホールがあるはずの場所まで歩いていき、一生懸命ドアを開いて中に入るふりをした。そして、中に入ると、天井の高さや美しい証明に見とれたふりをし、流れるソウルにノッているふりをし、やがてへたくそな踊りを踊り始めた。
 福井県人は保守的な人が多く、そのように路上で突然踊りだすような人をあまり見たことがないため、通行人は突然踊りだした日高を驚いた顔で見た。日高はそれでも、通行人の視線に気付いてはいけないと思った。だって、自分の周りには壁があるはずなのだから。
 野口と西田が大笑いして立ち去っていったのも見えた。追いかけて「おまえらも踊れ!」と強制したかったが、壁があるなら彼らが去ったことは見えてないはずなのだ。なんとかそれにも気付いてないふりをした。
 やがて、野口と西田が会社の同僚たちを連れてきたのもわかった。しかし、やめたくなる衝動を全力でこらえながら、日高は必死に踊り続けた。
 日高はクラブやディスコという盛り場に行ったことがなかったため、いつまで踊っていいのかわからなかった。よく夜通し踊り明かしたという人がいるというのを聞いたことがあるから、5、6時間は踊っているのだろう。日高は踊りながらさりげなく時計に目をやった。まだ1時だった。ということは6時か7時まで踊り続けなければいけないということなのだろうか。その間に休憩してもいいのだろうか。しかし、日高はそこまで踊り続ける自信がなかったので、「あーノドが渇いたなあ」というふりをして、ドリンクを探しに店の外に出ていこうと思った。
 しかし、日高はあることに思い当たった。ダンスホールという場所にはドリンクが売っているに違いない。外にドリンクを買いに出たら、それこそ何も見えてないと思われそうだ。日高はバーカウンターまで足を運ぶふりをして、ビールを注文するふりをした。空中に置いた500円はコロコロと道を転がっていった。それを見て同僚たちが大笑いをしていた。