高飛車なキャンディー

 シンディーはキャンディーだ。
 彼女は生まれてこの方、誰にも食べられたことがなく、それだけが唯一の自慢だった。彼女の居場所はグラスゴー大学の自習室。ここでは休憩する学生たちのために、テーブルの上にキャンディーが用意してあった。キャンディーはミントとオレンジ、ローズマリーの3種類があって、シンディーの味は格調高きミントだった。
 現在はこうしてグラスゴー大学に常駐しているが、シンディーが生まれたのは、グラスゴーから少し離れたクライドバンクという街にあるお菓子工場「ティンプトン」だった。ここの工場は昔から貴族が愛用したという伝統ある工場で、ここで作られたお菓子たちは他の工場に比べても気品があると評判だった。
 シンディーはティンプトンから生まれたキャンディーの中でも美しさは群を抜いており、周りのキャンディーからは「君はきっと素敵な貴族に好まれることだろう」と褒められた。そのお陰で、すっかりシンディーは自分は貴族に食べられるものとばかり思っていた。
 しかし、どういう運命のいたずらか、シンディーが袋詰めされ、移送されてきたのは、貧乏な学生ばかりがたむろするグラスゴー大学の自習室なのだった。ここの大学生ときたら、サッカーとロックとビールの話しかしておらず、オペラやクラシックや紅茶に興味がある人間など見たことがない。シンディーはどんなことがあっても、シェイクスピアも読んだことのないような学生に食べられるつもりはなかった。
 シンディーが暮らすお菓子のカゴの中には、他にも常時20個くらいのキャンディーがいたが、どれも自分の意見を持たぬキャンディーばかりだった。自分は人間に食べられてくるために生まれたのだから、誰に食べられようがそれでいい。そんなことを思っている輩ばかりだ。彼らにはかわいそうだが、シンディーは学生たちが自分に手を伸ばすたびに、少し身体をずらして、他のキャンディーをつかませた。他のキャンディーは抵抗することなく、自分の運命に従った。
 そんな、シンディーがいつか現れる王子様が来ることを夢見ていたある日のことだった。彼女がいつもの学生たちの汗くさい匂いに辟易としていると、その中にフローラルの香りが漂ってくるのを匂い逃さなかった。匂いはまるで淹れたてのアッサムティーのようにシンディーの鼻に届き、彼女はすぐさま匂いのする方向を見た。すると、そこには見たこともないようなエレガントな男性が立っていた。男性は学生たちに囲まれ、口元を優雅にすぼめて笑っていた。そうだ、わかった。この人が新しく赴任してきたイギリス近代文学の教授に違いない。確か名前はロバート・なんとかと言ったはずだ。シンディーは学生たちの話を盗み聞きしていたから、確信していた。おじいさんばかりのこの大学に、他にこんなに色気のある男性がいるわけがない。
 ロバートの指はこれまで本のページしかめくったことがないように細く、あの手につままれてみたいと思った。ロバートの唇は生まれたての赤ん坊のように柔らかそうで、その中からかすかに見える歯は肉を引きちぎる方法を知らないかのようにキラキラと輝いていた。シンディーはあの唇に囁くように舐められ、あの歯で思い切り噛み砕かれたい。そう思った。
 シンディーは自分に時間がないことも悟っていた。彼女がこの部屋に来てから、もう6年が過ぎようとしていた。普通のキャンディーだったら、とっくに異臭がしているほどの時間だ。しかしシンディーは学生たちが見ていない時に、コロコロ転がりながら運動を欠かさず、老化から身を守ってきたのだ。だが、それももう限界だった。
 学生たちと話しながらロバートがテーブルに近づいてくる。彼は明らかに何か口さみしい様子で、キャンディーを求めているようだった。ロバートの指が伸びてきた。シンディーは自分の身体を転がし、その指におさまろうとした。だが、そこで残酷にもロバートの指は不審な動きを見せ、ためらい、他のキャンディーを手に取ったのだ。それはオレンジ味だった。
 横にいた学生が聞いた。「ロバート先生、オレンジ味が好きなんですか?」
 ロバートが笑う。「いや、別にオレンジが好きなわけじゃないんだ。ローズマリーでもよかったんだけどね。ただ、僕はミントが苦手なだけなんだ」
それを聞いてシンディーは崩れ落ちた。もはや今の攻防で気力は使い果たし、動けなくなってしまった。そこに学生の手が伸びてきた。シンディーはあきらめ、学生の口に放り込まれるのを受け入れた。こうして高飛車なキャンディーの一生は終わりを告げた。