鼻ショウガの季節

 ある朝、真田ヤスアキが目を覚ますと、部屋中からショウガの匂いがした。ヤスアキは朝から母親がショウガのスープでも作っているのかと思い、よだれをたらしながら階段を降りていった。すると、母親はスープなど作っておらず、3チャンネルで放送されているラジオ体操に合わせて身体を動かしていた。
 ヤスアキが起きてきたことに気付いた母親は、振り返って「おはよう」と言おうとした。しかし、ヤスアキの顔を見た瞬間に近所の人が目を覚ますような金切り声をあげた。ん、ぎゃー!
「何? どうしたんだよ。お母さん」ヤスアキは母親が心臓発作でも起こしたのかと思い、彼女に近づいた。すると、ますます母親の顔は青ざめ、壁ぞいまで後ずさった。
「それはこっちのセリフじゃない。近づかないでよ。何なのよ、あんたの鼻!」
 ヤスアキが鼻を触ってみると、確かにやけに大きく腫れていた。表面はまるで木の皮のようにゴツゴツし、所々にボコボコと起伏があった。
「本当だ。少し腫れているみたいだ。ばい菌でも入ったかな」ヤスアキは鼻をこすりながら洗面所の鏡を見に行った。背後から母親の「少しなんてもんじゃないわよ…」という声が聞こえ、ヤスアキは鏡を見た瞬間に、その鼻についている物体にショックを受け、気を失った。それはまぎれもない、ショウガだった。・

 
 こういう時に女性は強いと思わせてくれるものだ。ヤスアキはもう学校には行きたくないと言い張り、父親もその衝撃を受け止められないのか震えながら転校をすすめたが、もはや見慣れてしまった母親は反対した。今までの友達だって、ちゃんと説明してくれるというのが母親の意見だった。
 ヤスアキは悩んだが、結局母親の言うことに従うことにした。どっちにせよ、転校したとしても周りが驚くことに変わりはないのだ。
 学校に行く前に先生には電話で母親が説明しておいた。先生はどんな具合だか前もってみておきたいと言うので、写真を撮ってメールした。すると、先生からは「すごいね…本当にショウガだ。どこからどう見ても」という返事が返ってきた。これを見てヤスアキは、なんとなく少しホッとした。
 学校に着くと、最初は友達たちは言葉を失ったが、やがて見慣れたのか、からかいの対象にされるようになった。ヤスアキはその日以来、「鼻ショウガ」という、ちっともうれしくないあだ名をつけられた。もうこれでヤスアキの中学校時代は終わったかに思われた。
 しかし神様はヤスアキを見捨てなかった。時が過ぎると、ヤスアキのショウガは本物のショウガだということが判明した。切って使わないと無限に伸びてしまうのだ。そこでヤスアキは家で母親が料理に使えるように、毎晩寝る前にカゴ1杯分のショウガを鼻から切り取っておいた。それでも翌朝には伸びていた。
 ただ、毎日こんなに大量のショウガをもらわれても母親は困るようで、「そんなにたくさんショウガがあっても余っちゃうから、クラスの誰かにあげなさい」と言った。
 しかし、ヤスアキはそれには反対した。誰がこんなに汗臭い中学生男子の鼻から伸びるショウガで料理を作りたいと思う奴がいるだろうか。自分がクラスメートだったらとてもごめんだ。それなら捨ててしまったほうがいい。
 こうして余ったショウガは近くのコンビニのゴミ箱に捨てるということを毎朝やっていた。
 そんなある日の放課後のことだった。ヤスアキは学年一と言われる美少女・宝田舞子から呼び出された。ヤスアキは自分のような鼻ショウガ男にこんな美少女が何の用があるのだと思い、呼び出された体育館の裏へと出向いた。5分ほど遅れると舞子はそこに立っていた。
「話って何だよ」ヤスアキはぶっきらぼうに尋ねた。中学2年といえば、まだまだ女性とスムーズに話せる年齢ではない。
「ごめんね」舞子は恥ずかしそうにしていた。その仕草を見て、ヤスアキはなんて可愛いのだろうと思ったが、そんな表情は出さなかった。「あのう、もしよかったらでいいんだけど。ヤスアキ君の鼻のショウガ、私にも分けてほしいの」
「え?」ヤスアキはどう言おうか迷った。自分の鼻のショウガが伸びることは、女子に言ったつもりはないのに。誰か男子が言いつけたのだろうか。城島か? 里崎か? 谷繁か?
「だ、誰からそんなこと聞いたんだよ」
「違うの。私、見ちゃったの。ヤスアキ君がコンビニのゴミ箱にショウガを捨てているところを。あれ、ヤスアキ君の鼻でしょ?」
「鼻でしょ?って。そんな失礼な。確かにあれは鼻だけどさ」ヤスアキは恥ずかしそうに鼻に手をやった。
「じゃあ、もし捨てちゃうんだったら、くれないかな?」
「なんでそんなの欲しいんだよ。俺の汗がいっぱい詰まってるんだぜ」
「あのね。私すごく自分のお肌のことを気にしていて、こないだテレビでショウガ湯を飲むと肌が綺麗になるって言ってたのね。だから毎日ショウガ湯を飲もうと決心したんだけど、私たちまだバイトもできる年齢じゃないし、ショウガを買うお金はないでしょ? あんまり親に言うのも恥ずかしいし。もしヤスアキ君がショウガを捨てるっていうんだったら、ぜひもらいたいなーと思って」
「マジかよー。なんで俺の鼻なんだよー」そう言いながらヤスアキは舞い上がっていた。自分の鼻のカケラをこんな美少女が毎日飲んでくれるなんて! こんな幸せなことがあろうか! あわよくば、毎日ショウガを渡すことをきっかけに仲良くなって、付き合えるのかもしれないぞ!

 こうしてヤスアキは毎朝、前日の夜に切り取ったショウガを体育館の裏で舞子に渡すようになった。こんなに毎日密会をしていたら、あっというまに噂が流れてしまうだろうとヤスアキは浮かれていたが、ちっとも噂は立たなかった。
 そう。ヤスアキだけは知らなかったのだが、舞子は実は1学年上で学校一イケメンと言われる本庄先輩と付き合っていたのだ。本庄先輩は舞子の肌が日に日に美しくなるのを見て、ますます彼女に惚れ抜いていった。ヤスアキの鼻は、学校一の美男美女カップルの仲のよさに一役買ったというわけだ。このサポートは舞子が卒業するまで続き、やがて舞子と本庄先輩は結婚した。
 のちにヤスアキは自分が利用されていることに気付いたが、どうせ捨てるんだったら美少女と毎朝会えたほうがいいということで自分を納得させた。ヤスアキはその後も、高校に入り、大学に入り、同じような理由で女子からの人気者であり続けた。世の中には常にショウガブームが来ていたため、ヤスアキの鼻への需要はとどまるところを知らなかったのだ。ヤスアキは25歳になるまで一度も彼女ができていないが、このショウガブームは永遠に終わらなければいいのになあとぼんやりと願っている。