奴らの読む雑誌

「早田隊長! 雑誌です! 雑誌がありました!」
 早田の部下である長嶺が、冷蔵庫の後ろから雑誌と見られる欠片をうれしそうにピンセットでつまみあげ、顕微鏡の上に乗せた。長嶺が早く見てくれと急かすような視線を早田に送る。
 早田はこの瞬間がもっとも嫌いだった。奴らの底知れぬ知能を覗くことになるからだった。奴らの知能の進化する速度を見ていると、人間のちんたらした進化なんて本当にままごとのようなものだと思えて気分が滅入る。このまま今日は帰宅して、奴らのことなんて忘れて熱いシャワーでも浴びたかったが、そうは行かなかった。この大仕事を完了させれば、しばらくは贅沢できる大金が転がりこんでくるのだから。
 奴らの言語を理解できるのは、世界に5人しかいない。南アフリカに1人、カナダに1人、シリアに1人、ウクライナに1人、そして日本に、いや東アジアには早田1人だった。早田の名前が知れ渡ると、あらゆる東アジアの国から引っ張りだこになった。
 素人の常識で考えると、タイやカンボジアなどの熱い国における奴らの個体数は日本のそれよりも多く見える。しかし、知能的な問題でいうと、都市化が進んでいる国ほど賢いものが多く、雑誌は圧倒的に日本のほうが面白かった。
 奴らは奴らにしかわからない言葉で雑誌を書き、面白い記事にはギャラリーが殺到する。奴らはまだ印刷技術というものを持っていないから、現場に出向かないといけないのだ。つまり、奴らの姿をやけにたくさん見ると感じたら、そこにはまず間違いなく面白い雑誌が存在すると考えてよい。奴らはそこら辺にある埃を固めて、それを紙代わりにし、触覚から出る白い汁のような液体で執筆する。奴らの言語は、国境など関係なく、たったひとつだから、あまりに面白い記事ははるばる外国から見に来る者もいた。なので、あなたの家の中で、普段見慣れない形状の奴らの姿を見たら、相当面白い記事を書く優秀な記者がいると思って誇りに感じていい。まあ、人間には何もメリットはないのだから。
「早田隊長、何をやっているんですか。早くしないと、雑誌のファンである奴らが記事を取り戻しに来ますよ」苛立った様子の長嶺が早田を急かす。
 そうだった。奴らはこうして人間が雑誌の存在を知ってしまったことを知っている。それはすでに先月の売れ線雑誌の見出しになっていたのを早田は読んでいた。奴らは怒っていた。「自分たちの文化をスパイしようとする人間に粛清を!」という過激な見出しだった。
 早田は嫌々ながらも、奴らとの衝突を避けるために顕微鏡を覗き込んだ。そこには「朝青龍がついに引退!」と書いてあった。どうやら朝青龍は奴らの間でも高い人気があるらしく、朝青龍が引退するまでの経緯が人間も顔負けの取材力で事細かに記されてあった。
「なんて書いてあるんですか?」長嶺が聞き、「朝青龍引退について、だな」と早田が顕微鏡を覗きながら説明する。
「やっぱりかー。最近次々と報告が入ってきてますよ。朝青龍の取り組みを見ていると、やけにたくさんテレビの前に寄ってくるって。人間も奴らも興味があるところは一緒なんですね」
「前へ前へ突き進むという姿勢が似ているのかもしれないな」
「お、隊長うまいこといいますね」長嶺が笑った。「でも、朝青龍のことだと外国の奴らには理解できないんじゃないですか」
「そこがこの記者のうまいところだな。朝青龍が誰だか知らなくても、面白く読ませる秀逸な記事に仕上がっているよ」早田が説明する。
「マジっすか」
「おっ」
「何ですか」
「おまえのことも書いてあるよ」
「俺のことが?」
「長嶺健二。23歳。最近、早田隊長の下で精力的に働く要注意人物だって。しかも、おまえの家族構成や学歴、好きな食べ物から恋愛遍歴まで書かれてるぞ。おまえ、こないだの彼女と別れたのか?」
「うわー。マジ腹立ちますね。彼女と別れたのは本当ですよ。誰にも言ってなかったのにな」
「奴らはそこら中で耳をそばだてているからな。くれぐれも注意したほうがいいぞ」
「わかりました。なるべく電話とかを使わずに、大事なことはメールにすることにします」
「そうだな。そうしたほうがいい」
 しかし、早田は知っていた。ゴキブリの技術の進化は目覚ましく、最近ではLANケーブルを食い散らかすことで送電されているデータを全て読み取ることができるということを。奴らのハッキング機能は人間なんかに比べ物ならない。ただ、そこまで人間が知ってしまうと、間違いなくパニックになるだろうから言えないのだ。おそらくゴキブリの言語が読める他の4人も同じことを考えているのだろうと思う。早田はこの仕事を本当に辛い仕事だと思った。