バレンタインに爪切りを

 国内最大手の爪切りメーカーの「コイケ」は今、倒産の危機を迎えていた。1本数千円する高級爪切りとして長年国民から愛されてきたコイケだったが、ここのところのデフレにより人々が100円ショップでの爪切りを買うことが多くなったことが主な原因だった。
 コイケ社長の小池忠彦と副社長の藤井勝は会議室で秘密会議を開いていた。
「なるほど。君の案としては、バレンタインに爪切りを贈るというのを流行らせればいいということかね」小池が藤井の案に目を通しながら言った。
「そうです。人気タレントにCMで言ってもらうんです。“チョコレートはもう古い! 今は爪切りの時代よ”って」
「ほう。“チョコレートはもう古い”か。それは当たるかもしれんな」
 こうして決まった藤井の戦略どおり、人気の女性モデルたちがCMでコイケの爪切りを宣伝しはじめた。CMはいくつかのパターンが放送されたが、そのうちのひとつは以下のように奇妙なものだった。

恵比寿のオープンカフェでイチゴケーキを食べるエビちゃんともえちゃん。
エビちゃん「ねえねえ、もえちゃん。私もうバレンタインにチョコレートあげるの飽きちゃった」
もえちゃん「エビちゃんも? 偶然ね。奇遇ね。私もチョコレートなんてすっごくダサいと思うの。あんなのもらって喜んでる男性の気が知れないわ。バレンタインにチョコをもらってうれしそうにしてる男性が、私は一番嫌いなタイプね」
エビちゃん「でしょでしょ? やっぱもえちゃんとは話が合うなー。これからはさ、爪切りをあげようよ」
もえちゃん「えー、爪切り? すっごくない、それ? エビちゃんセンスよすぎだよ。だったらさ、コイケの爪切りにしようよ」
エビちゃん「いいねえ。だったら今から一緒に買いに行かない?」
もえちゃん「うん、行く行く!」
こうして2人はハンドバッグを手に取り、コイケ恵比寿店に爪切りを買いに行く。


 この動きに猛反発を見せたのがお菓子メーカーだった。1年のうちに最も儲かると言われた時期に、こんな妨害工作をされて黙っていられるわけがない。お菓子メーカーのナガワでは、これに対抗するCMを放送した。それは爪切りを堂々と真正面から罵倒するものだった。人気パンクバンドのライブシーンの映像が挿入され、「俺たちは爪切りはいらねえ! 俺たちがバレンタインに欲しいのはチョコレートだ!」と彼らのシャウトの後に、山積みにした爪切りに時速120kmのトラックが突っ込んでいく映像が流れた。当然、爪切りは粉々に砕け散った。
 この過激なCMが放送されたことによって、コイケはナガワに対し「青少年に悪影響を与える」と言って抗議をした。すると、トラブルを恐れたナガワはCM放送を自粛。しかし、このCMのインパクトは相当なものだったようで、YouTubeなどで何度もエンドレスで再生されるようになった。人々はこの映像を見て以来、爪切りを買うのは悪いことであるような気がして、購入を自粛した。爪切りの売り上げは以前よりも落ち込んでしまった。
 この売り上げ激減により、結局コイケは倒産した。
今日も日本ではバレンタインにはチョコレートをあげることが好まれている。大衆は爪切りよりもチョコレートに投票したのだ。エビちゃんともえちゃんが必死に熱演したあのCMのことも人々はやがて忘れてしまった。彼女たちのプロフィールからもコイケのCMに出ていた事実は削除された。