偶然の視覚

「見えた! “考えすぎると、人間は憶病になる”。いいセリフだね」
「よかったね」
 うれしそうに言う仁助に美久子はVサインを送った。しかし、もうこれは見えていないだろう。
 美久子の彼氏・仁助は2年ほど前から目のかすみが目立つようになり、ある日ほとんど物が見えなくなった。しかし、全く見えないかと言うと、そうではなく、突然1日のうちにほんの数秒、偶然見える時があるのだ。医者に行くと、「これは偶然の視覚だ」という診断を下された。仁助はショックを受けていたが、やがて受け入れた。彼は偶然でも何でも、たまに見えるのがうれしいと言っていた。
 今はこうして2人で映画『コクーン』のDVDを借りて観ている。仁助は英語もまるでわからないから、邦画にしようと美久子は提案するのだが、仁助はそれでも洋画がいいと言い張る。それはたまに目に飛び込んでくる字幕のセリフが、偶然ながらもその映画の本質を表すことが多いというのだ。美久子はこれには懐疑的で、時には「おい、リチャード!」とか「ひどいぜ、ママ」などの無意味なセリフしか見えない時もあった。それでも仁助は、これらのセリフが本質なんだと言って聞かなかった。むしろたくさんのことを無駄に頭に詰め込まない分、楽だというのだ。
 仁助はまた、本も好んで読むようになった。前は全く本なんか読まなかったというのに。仁助は見えてないのにもかかわらず、ページをめくり続けた。彼にとってはどこで急に見えるようになるかわからないから、この瞬間が一番ドキドキするらしい。仁助に言わせれば、美久子の人生やその他の人の人生も同じようなものだと言っていた。全部を見ても、一瞬を見ても、さほど変わりはないのだと。
 また、美久子のことをたまに見ることができるのも仁助はうれしかったようで、久しぶりに顔を見た時にはすごく褒めてくれた。美久子も仁助がこうやって心の底から賛辞を贈ってくれるのは気持ちがよかった。しかしこれもそんなに頻繁にあることではない。たまに偶然見えた瞬間に美久子のほうを向いているとは限らないのだから。
 仁助は見たいものがある時、その物体の前に1日中いた。物体の方角に目を向けていれば、突然見えた時にもそれがどんな形をしているかわかる。仁助はニュースなどで話題になっているものがあると、必ず美久子にそれを持ってきてもらうように頼んで、一日中根気よく見える瞬間を待ち続けた。こうして仁助は時代の流行についていくことができた。
 そんな仁助を見ていた美久子は、自分にも現在の視覚は多すぎるということが気付いた。彼女は仁助を見習い、一日のうちで目をつぶる時間を大幅に増やした。しかしこうすることで、美久子の目は休まり、神経も休まり、集中力が増すようになった。そして、偶然見えた景色がその状況の全貌を一瞬で表していることが多いということにも気付くようになった。見えるということの素晴らしさをも、前にも増して知ることができるようになった。