もう荷物は持たない

 荷物を持っていると笑われる。そんな時代が来るとは夢にも思っていなかった。加藤常太郎は、20年前の25歳の時に、友人の牧田昇と2人で加藤バッグという会社を立ち上げた。加藤バッグは黒とピンクを基調にしたマーブルチョコレート風のデザインと日本式のハイテク機能がもてはやされ、海外でも人気を博すようになり、一躍加藤は時の人となった。その後、会社を去った牧田はフリーランスとなり、売れっ子デザイナーとなったが、社長である加藤は会社をさらに大きくするために努力を惜しまなかった。
 しかし、時代の流れとともに、努力ではどうにもならないこともある。テクノロジーの発達により、手帳や携帯電話や音楽プレイヤーは全て小指ほどの大きさのICチップで事足りるようになってしまった。それらICチップが導入されてからというもの、しばらくの間は習慣とファッション性で人々はカバンを持ち歩いていたが、やがてあるタレントの登場で、加藤の運命は捻じ曲げられてしまった。
 そのタレントの名前は、コーカサス新藤といって、生涯一度も荷物を持ったことがないという変態手ぶら野郎だった。芸風も単調で、ただ自分の手ぶら話をえんえんと自慢するというものだったが、なぜか時代のニーズとの波長がシンクロした。どこかの雑誌が、「今、時代はコーカサス風がアツい!」と特集しだしたお陰で、日本人はほとんど同時期に全員手ぶらで歩くようになってしまったのだ。もちろんそんなことになったらカバンなどは必要がなくなる。加藤は一生懸命コンパクトなバッグを開発したが、全く売れずに、時代の流れに逆らえないまま最終的には会社は倒産してしまった。

 路頭に迷った加藤は、この一連の自分に対する不幸の発端になった、コーカサス新藤を襲撃に行くことにした。襲撃さえすれば、自分の気持ちは晴れる。そう思う加藤はもう53歳になっていた。
 駅で張り込みをしていた加藤がコーカサスを見つける。コーカサスはやはり手ぶらだった。はやる気持ちを抑えて、人のいないところまで追い込まないといけない。加藤はコーカサスの後をついていく。
 コーカサスが路地に入る。その後を加藤が追う。背後からナイフを刺そうと飛びかかり、加藤はコーカサスの太ももを刺した。もんどりうって倒れる2人。コーカサスは痛がっている。加藤はそのままとどめを刺そうかどうか迷ったが、さすがに殺人は避けたいので、このままずらかることにした。捨てゼリフはなんて吐くか、昨日から決めていた。「カバンを持たないからこういうことになるんだ!」

 翌日、コーカサスがテレビに出演した時、視聴者たちは目を疑い、そして動揺した。あんなに手ぶらで通してきたコーカサスがカバンを持っているのだ。それを見たコーカサス信者のA・Hくん(17歳)はこう語っている。「だまされた!って思いましたね。でも、僕らは手ぶらの味を知ってしまったので、もう引き返せませんよ。コーカサスはきっとカバン会社から金でももらったんじゃないですか。でも僕は絶対にカバンを持たない。ぜったいに!」