裸足のモーくん

 とある下町で靴職人を営むカザママモルは、1週間前にあるメールを受け取っていた。そのメールは、ある女性からのものだった。

「拝啓 靴職人カザママモル様
私は自分の息子に合う靴を探していますが、なかなか見つかりません。
カザマ様ならきっと息子にふさわしい靴を作ってくれると信じております。
2月25日の朝9時に引き取りにいきますので、その時まで作っておいてください。
息子はいつも裸足でいます。サイズは29です。

重染寺美喜枝」

 この重染寺美喜枝という名前を見て、マモルはきっと金持ちに違いないと考えた。靴職人という仕事はこの不景気の波に押されて、今ではオーダーメイドで靴を作る人間などいない。これはもしかしたら大金を受け取ることもできるかもしれないと思い、マモルは2月25日の期日に間に合うように夜を徹して靴作りに励んだ。
 ただ、気になるのが、いつも依頼人の息子は裸足でいるという点だ。子供ならわかるが、サイズが29もあるということだし、きっと自由奔放に育った若者なのだろうか。ふだん裸足で歩く人間なら、違和感のない軽い素材を好むに違いない。マモルは奮発して、ニュージーランドから超軽量の牛皮を取り寄せて、それで作ることにした。

 2月25日、運命の日がやってきた。果たして依頼人は靴を気に入ってくれるだろうか。そればかりが気になって、前日マモルは眠ることができなかった。
 9時ぴったりに店のガラス戸をノックする音がした。少しでも高級に見せるために一張羅のスーツに着替えていたマモルは、ズボンの皺を気にしながら入り口に向かう。  
すると、そこにはレイヴでよく見かけるようなコズミックなデザインのワンピースを着た貴婦人と、牛が1頭立っていた。
 貴婦人は重染寺喜美枝と名乗ったが、マモルはとてもその名と容姿が一致するものとは思えなかった。しかも、あろうことか喜美枝は手ぶらで、首に財布のようなものをぶら下げていた。あの中に金が入っているのだろうか。
 それよりも何も、息子と言うのは一体どこなのだ。マモルがそう聞くと、重染寺はあんたバカ?とでも言いたげな顔で言った。「この子ですよ。この子が息子のモーちゃんです」
 あんたバカ?なのはどっちだ。重染寺は聞くところによると、杉並区から来たとのことだった。マモルは杉並区に偏見があったので、やっぱりかとつぶやいた。杉並区は住基ネットに反対したりと、他の国民と足並みを揃えない性質を持つ。しかも、文化人やアーティスト気取りの人間が多いため、このような牛を息子を言い張って歩くワンピース熟女のことを見ても、自由で何よりだと言って許したりするような寛容な姿勢を持つのだろう。下町の窮屈なしがらみの中で育ってきたマモルからすれば理解できなかった。この場で重染寺の生き方を真っ向から罵倒して、そのまま部屋に引きこもってやろうと思ったが、怒らせてしまえば金はもらえない。とりあえずニュージーランド産の牛皮の分は取り戻すためにも、無理矢理笑顔を作って接客に励んだ。
「モーくんでしたっけ? お足に合うかどうかわかりませんが、サイズは29でお作りしておきました。偶然にも皮が牛なので、おそらくぴったり合うかと思います」
 マモルが牛に靴を履かせると、抵抗することなく素直に従った。そして、足を2、3度ドンドンと踏み鳴らし、重染寺のほうを向いて、モーと鳴いた。
「あら、さすがじゃない。これまで東京中の靴屋に靴を作らせてきたけど、モーくんがこんなに喜んだのは初めてのことよ。代金をお支払いするわ。おいくら?」
 マモルは1万5千円と言うつもりだったが、重染寺が財布から小銭をジャラジャラ出しているのを見て、バカらしくなってしまった。