俺よ、恥を知れ

 先週、わたしが息子の父兄会にTシャツ姿で行ってしまったことについて、チクチクと教師に不満を述べる父兄がいると聞いて、わたしは深く心を痛めた。息子の通う学校はとてもマナーにうるさく、社会で全うに生きる聖人君子を育てるような校風だった。そんな学校の公式行事にTシャツで行くなんて常識外れもいいところだ。自分の迂闊さをただただ呪うばかりだ。
 わたしは服装には特にこだわりがないほうなので、ついついこういった失敗をしてしまうことがある。しかし、社会というものは厳しいし、それは65年間生きてきて肌で感じているつもりだ。息子の顔を立てるためにも、他の父兄の皆様方にかけてしまった迷惑を許してもらうためにも、どうしても謝罪せねばならない。わたしは息子に各家庭の住所を聞き、謝罪して回ることにした。
「父さん、そこまでしなくてもいいんじゃない? 家まで謝りに来られたら、みんな引くと思うよ」
「バカ言うな! わたしのしたことは社会的制裁を受けるに値する行為だぞ。おまえのような子供に、わたしがとった行動の愚かさがわかってたまるものか」
 わたしは家内と息子を説得し、なけなしの貯金をはたいて、各家庭に配る旅行券と商品券、そして高級食器セットを買った。町で一番腕のいい床屋に行き、五分刈りにしてもらう。スーツを仕立てて、靴も新調した。
 まず最初は、PTA会長である成宮さんの家に行こう。わたしは電車を乗り継ぎ、成城学園前にある成宮さんの家の前に来た。ピンポンベルを押すと、成宮さんの奥様が出てきたので、わたしはまず深く土下座した。
「このたびは私の失態により、大変ご迷惑をおかけいたしました」
「あらそんな、こんなところで困りますわ。とりあえずあがっていただけますか」
 成宮さんの家の中は格調高く、わたしは恐縮した。うちのボロアパートとはえらい違いだ。つくづく、自分のようなちっぽけな人間が分不相応な行動をとったことを悔やみたくなる。丁重にお断りしたのにもかかわらず成宮さんの奥様はお茶と果物を出してきたが、わたしは手もつけなかった。見ることですら失礼に値すると思ったので、何の果物が出てきたのかも知らない。居間でしばらく待つと、成宮さんがシックな部屋着で現れた。
 わたしはすぐさま深々と土下座をし、
「成宮さん、このたびはご迷惑をおかけして本当に、本当に申し訳ありませんでした!」
「ちょっと、そんな頭を上げてくださいよ」
 成宮さんは優しくそう言ったが、絶対に甘えるわけにはいかない。わたしは床を舐めるほどの勢いで何度も何度も土下座をする。「申し訳ありませんでした! 申し訳ありませんでした!」
 謝っているうちに涙が溢れてきた。こんな土下座ごときで許されるとは思わない。つくづく恥ずべき行動をとった自分が憎い。わたしが嗚咽を漏らしながら涙で濡れた顔をあげると、成宮さんは目を丸くした。
「そんな、泣くことないじゃないですか。今元さん、あなたちょっとやりすぎですよ」
「どこがやりすぎなものですか! ああ! わたしは父兄会にTシャツで行ってしまったんだ。Tシャツで、Tシャツで…。なんとお詫びしてよいのかわかりませんが、とりあえずこちらをいただいていただけますか。せめてものお詫びの印です」わたしはロス5日間の旅行券と三越の5万円分の商品券、高級食器セットを入れた紙袋を渡した。
 それを見た成宮さんは
「こんなものもらえるわけないじゃですか」と怒りまじりの声で言った。
 じゃあ、どうすれば許してくれるのだろうか。頭が混乱して前後不覚となったわたしは、テーブルの隅に奥様が置いていった果物ナイフを手に取り、切腹しようとした。すると、成宮さんは「バカなことはやめろ!」と言って止めに入ろうとしたが、そのはずみで腕に傷をつけてしまった。

 わたしは病院に付いていくと言い張ったが、成宮さんからは拒否された。服装に続き、暴力行為も働いてしまったわたしは今後どうしていいのかわからない。とりあえず今度こそ本当に切腹するしかないとは思うが、その前に、まだ謝るべき人間が35人も残っている。わたしは襟をただし、ネクタイが曲がっていないかどうか確かめて、PTA副会長の吉崎さんの家に向かうことにした。