早く友達になりたい

 目が覚めると、窓の外には朝日がのぼっていた。城田武郎は焦って学生服に着替え、カレーパンを頬張って学校に向かう。昨夜は今日の試験のために徹夜で勉強する覚悟だったが、夜の3時半ごろには力尽きて寝てしまった。
 あれは確か山田洋次監督について勉強していた時だった。山田監督のデビュー作は『二階の他人』で、『男はつらいよ』シリーズは27年間で全48作品が作られた。その辺りまではしっかりと暗記できていたつもりだったが、もう1人ヤマを張っていた森田芳光監督については何も頭に入っていなかった。山田監督が出ますように。そう祈りながら、城田は教室に駆け込んだ。
 1時間目が始まると、隣の席に座っている吉永秀太が『日本映画史』という本を教科書の間に隠して、先生から見えないようにチラチラと見ているのがわかった。城田は汚ねえぞ、と心の中で文句を吐きながらも、自分もこっそりと参考書を取り出し、森田監督についての簡単な暗記はしておこうと思った。
 試験が行われるのは、2時間目の後の休み時間だった。2時間目の数学の授業が終わり、にわかに教室内に緊張感が漂う。小島くんの唯一の友達である中川金太郎がテスト用紙を生徒たちに配った。すると城田は、そこに書かれていた問題を見て目を丸くした。おそらくここにいるクラスの何人かは城田と同じように驚いたことであろう。
 なんと、問題はヘキサゴンファミリーについてのものだった。テレビっ子たちの「よっしゃー」と言った喜びの歓声と、非テレビっ子たちの「マジかよ」と言った落胆のため息が聞こえる。城田はもちろん後者だった。
 小島くんは最近、80年代の日本映画に興味があると言っていたはずだ。それを見越して、城田たちは次の問題は日本映画に特化したものになるだろうと踏んでいた。しかも小島くんはバラエティ番組を全く観ないと言っていたはずなのに。これはただの引っかけ問題なのか? それとも小島くんの趣味が変わったのか? どちらにせよ、城田はあまりテレビ番組を観ないほうだったので、「サーターアンダギーのメンバー3人を挙げよ」と書かれていても、何のことかさっぱりわからなかった。 
 あきらめて絶望に暮れた城田は、涙をこらえてテストを白紙で出すことにした。この日をどれほど待ちわびていたことか…。それなのに、それなのに、悔やんでも悔やみきれない気持ちだった。妹があんなに好きだったヘキサゴンを一緒に観ておけば、これくらいわかったかもしれないのに。城田は自分の迂闊さを呪った。
 白紙の答案を見た、中川金太郎がいやらしい笑みを浮かべる。「あれ、城田、白紙でいいわけ? 次のテストは3ヵ月後だぞ?」
 もちろんいいわけはなかった。城田は泣いているのを悟られないようにして、廊下に出ていった。そして、トイレで思う存分泣いた。


 城田は本当に小島くんと友達になりたかった。それはクラスの、いや学年全体の望みだったと思う。小島くんはユーモアがあって、グルメや映画や小説や芸術のことなど、なんでも知っている万能型の物知りさんだった。しかも、ルックスもファッショナブルで超カッコイイときたものだから、一緒に歩いているだけでも周囲の女の子たちが騒ぎ立て、自分の地位があがっているような気分に浸れたものだ。
 小島くんが転校してきた当初は、誰とも普通に接してくれてはいたが、あまりに友達になりたい人間が多すぎたために、小島くんは自分と友達になるためのテストを実施すると言い出した。小島くんの言い分としては、自分と吊り合う人間はこの学校にはなかなかいない。それでもこれだけたくさんの人間が自分と友達になりたがっている以上、譲歩策としてテストを行ってあげようと。この申し出に、生徒たちは熱狂した。あの小島くんが堂々と友達と認めてくれるまたとないチャンスなのだ。生徒たちは皆、小島くんの会話を盗聴し、ファッションの移り変わりに目を光らせ、最近の彼の好みを調べ上げて試験に臨んだ。
 しかし、小島くんの知識の量は他の生徒たちの予想を遥かに超えていたので、何度テストをしても高得点が出ず、1年ほど該当者なしの状態が続いた。そんな中、紅茶についての問題が出た時に、たまたま父親が紅茶の輸入業を営んでいて紅茶への知識が豊富だった中川金太郎が合格したのだ。他の生徒からの中川への嫉妬は爆発し、下駄箱に脅迫状が入れられ、給食にはチョークが入れられた。しかしながら中川はそんな有名税に余りあるほどの恩恵を小島くんから受け取った。やがて人々は小島くんといつも行動をともにする中川の言うことに耳を傾け、事実上のナンバー2にのし上がったのだ。
 城田は中川のことが心底うらやましかった。あんな面白い男と公然と友達と言えるだなんて、それだけで人生うまくいったも同然じゃないか。
 さんざん泣き腫らした城田は、妹にメールを打った。「ヘキサゴンについて俺に教えてくれ」と。妹からはすぐさま「やだよ」との返事があったが、絶対にあきらめるわけにはいかなかった。もう一度、ヘキサゴンの問題が出るとは限らないが、小島くんがいま興味がある以上は、自分も知っておかなければ気がすまないのだ。城田は小遣いを全部差し出して土下座をしてでもいいから、妹にテレビについて教えを乞おうと決意を固めた。