真央ちゃんがくれた銅メダル

 白々しい風がなまめかしい色合いの日射しとともに降り注ぎ、ジャンボジェットのように翼を広げたカラスが切り立った崖の斜面から真っ逆さまに人間の頭を突きに落ちてくる。突かれた人間は額からは血の花束が生えてきた。彼の手にあった国旗は岩の上に無残にも落下し、そのまま転がっていくとその先にはあるのは、油とゴミが浮かんだ海面だった。こんな汚物まみれの場所に浮かぶ国旗を誰も取ろうとはしない。

 額から血を流した森恒星は日本選手団の旗手をつとめていた。しかし、選手団とは言え、選手は森1人しかいない。森はハンカチで血を拭い、中国の選手に愚痴を言った。
「だから俺はこんなの参加したくなかったんだよ」
 しかし、中国の選手は日本語がわからないらしく、曖昧にうなづくだけだ。気の毒そうな表情を見ると、言っている内容は大体わかるのかもしれない。中国の選手だって、日本と同じく1人しか来てないのだから。
 
 第28回冬季オリンピックの会場となったのは、ベトナムハロン湾から徒歩6時間くらい歩いたところにある断崖絶壁で、未だ手付かずの秘境と言われていた。なぜこんな場所で開催されているのかというと、オリンピックを端に発した国家同士の扮装はますます過激さを増し、前々回のブカレストオリンピック後には核戦争が勃発したからだった。
 この核戦争では世界の人口の約90%が命を失ったと言われている。それゆえ、オリンピックを逆恨みした人々は断固として開催してなるものかと、反対運動を繰り広げたが、スポーツを愛する人々の情熱を消すことはできなかった。4年前には、核戦争で生き残った人間の中から、かろうじて身体を動かすことができる者だけが召集され、日本の瀬戸内海にある明神島で極秘でオリンピックを開催した。もしも開催したことが公になると、反対派が自爆テロでも何でも起こしかねないからだった。
 それから4年間、核戦争の影響によって、人々の体の自由はますます利かなくなった。地下活動を展開するニューIOCは人口の激減したベトナムではテロの心配がないだろうということでこの場所を選んだが、あまりの秘境のため、集まった選手の数はわずか6人だった。日本、中国、グルジアイラクが1人ずつとザンビアからは2人。一応開会式をやったものの、選手たちが旗を持って2周するだけという寂しいものだった。日本唯一の選手の森恒星も、カラスに頭を突かれて血を流している始末だ。
「じゃあ、始めましょうか」審判役をつとめるロシアのセルゲイ・フルシチョフ氏が指揮をとる。「みなさんが出来る種目を教えてください」
 しかしながら、6人の得意種目はバラバラだったため、試合をすることは不可能だった。セルゲイ氏は頭を悩ませ、全く異なるバックボーンを持つ6人が公平に戦える種目を考え出そうとした。
じゃんけん? いや、それはスポーツではない。
にらめっこ? それも同じくスポーツではない。
おしくらまんじゅう? 怪力のものが勝ってしまうだろう。
 3時間ほどセルゲイ氏が考えこんでいる間に、会場に来るまでの長時間の移動で疲れ切っていた選手たちは眠ってしまった。彼らのいびきを聞きながら、セルゲイ氏は先ほど森の額に穴を開けたカラスに向かって叫んだ。「おい、そこのカラスよ。何かいい方法を教えてくれ! この者たちを戦わせる種目を!」
 すると、カラスは困り果てたセルゲイ氏を嘲笑うかのように、クルッと空中でトリプルアクセルを決めて飛び去っていってしまった。それを見てセルゲイ氏は思いついた。「い、今のはトリプルアクセルの女王と呼ばれた伝説のスケーター・浅田真央選手の技じゃないか。そうだ。何も力でぶつかりあう戦いばかりにこだわっていても仕方がない。マオ・アサダのように優雅なダンスを披露し合って、それで勝敗を決めようではないか」
 喜びに我を忘れたセルゲイ氏はもう見えなくなったカラスに礼を言い、眠っている選手たちをたたき起こした。
「ダンスだ! ダンスをするんだよ!」
 いきなりダンスと言われた選手たちには理解できなかった。
 中国の選手が中国語で聞く。「ダンスでどうやって勝敗を決めるんだ」
 セルゲイ氏は中国語を理解しなかったが、だいたい何が聞きたいのかはわかった。
みんなよく聞いてくれ。この場でみんなの好きなようにダンスをしてくれ。ダンスに上手い下手は関係ない。私の心を動かしたものが優勝だ。そのようにセルゲイ氏がゼスチャーで説明すると、各国の選手はわかったとうなずいた。
 6人の選手は自分たちの両親や友達の分も合わせて、身体の動きで全てを表現しようとした。それは感動的な光景だった。日本代表の森恒星も、ダンスの基礎など何もなかったが、小さい頃に習っていたそろばんの動きをアレンジして、身体を思いのままに動かした。額からは相変わらず血が飛び散っていたが、そんなことも気にせずに。
 セルゲイ氏は得点をつけて順位を決めることに躊躇っていたが、心を鬼にして判断を下した。その結果、金メダルはザンビアの背の高いほうの選手、銀メダルはグルジアの選手、そして銅メダルに輝いたのは日本の森恒星だった。森はメダルをもらうことがこんなにうれしいことだとは思わず、思わずセルゲイ氏に抱きついた。森は英語ができないため、なんと感謝してよいかわからなかったが、サンキューサンキューと連呼した。すると、セルゲイ氏は「感謝をするなら、君の国が生んだスター、マオ・アサダに感謝しなさい。彼女がいなかったら、君の銅メダルはなかっただろう」
 森は日本史には疎かったが、浅田真央の名前くらいは知っていた。なんといっても、ソチ五輪で史上最高の高得点を叩きだし、金メダルに輝いた英雄なのだ。森はセルゲイ氏から手を離し、海に向かって叫んだ。「ありがとう! 真央ちゃん!」