猫を語る3

 築地の市民会館にて、「猫の未来を考えるシンポジウム」が開かれた。これは、日本の都市化が進むことで住む場所をなくしてしまっている猫を救おうという趣旨のもので、国の予算を大々的にかけたプロジェクトだった。政治家たちによる猫対策委員会が作られ、その中には猫ウォッチャーとして知られる社会科学者の中田紅子がいた。
 紅子は今回のプロジェクトにあたって、かなりの気合いを入れていた。自分の考える案で何匹の猫が救われることだろう。これまではただ猫の生態を本にするなどして、猫の魅力を世間に伝えることしかできなかったが、こんなに実務的な仕事に携われるなんて光栄以外の何物でもない。徹夜明けであることを悟られないために、いま一度紅子はトイレで化粧を直し、会議室Aへと向かった。
 会議室に入ると、そこには紅子の身体から発する張りつめた緊張感とは裏腹に、怠惰な雰囲気がにじり出ていた。委員会のメンバーで女性は紅子だけで、あとは全員が60代、70代の男性ばかり。彼らは互いに知り合いのようで、どうもどうもと頭を下げながら名刺交換に夢中だった。中には既に居眠りしている者もいる。
 紅子はその光景を見て、彼らのようなお偉いさん方はきっと日々の激務で忙しいに違いないのだろうと思った。自分のように、朝から晩まで猫と遊んでブログや原稿を書いている半ニートはえらい違いだ。場の雰囲気を崩さないように、少しづつ意見を述べていこう。
 議長席に座った真村という男性が指揮をとり、会議が始まる。
「それでは、みなさん、そろそろ全員そろったみたいだから始めましょうか」
「これ、何の会議だっけ?」という気の抜けた野次が飛び、ドッと笑いが起こる。
「猫ですよ、猫。みなさんの手元に冊子をお配りしてるでしょう」真村が野次を言った男性に向かって、優しく諭すように言った。
「猫なんてどうでもいいよ。それより早く飲みに行こう!」男性が再び野次を飛ばすと、「そうだ、そうだー」とそれに便乗する声が起こった。
 そのやりとりを聞いて、紅子は耳を疑った。猫なんてどうでもいい? ここに来ている人たちはみんな猫が好きで、猫の未来のことを考えてきているのではないのか?
「まあ、そんなことを言わずにね。あと2時間はこの会議室を取ってますので、形式的にではありますが、進めていきましょう」真村の言葉に、紅子はまた疑問を覚えた。形式的に? 形式的に進めて、猫の未来が変えられるのか?
 疑問と苛立ちがグルグル紅子の頭を駆け巡る中、真村が形式的に書類を読み上げていく。
「それでは、次に猫オッチャーの人に話してもらいましょうか。えーと、中田さん、中田紅子さんですね。自己紹介とともに、あなたなりの意見を述べてもらいますか」
 紅子は自分の名前が呼ばれたことに一瞬気付かず、自分に向かって、ねっとりとした嫌らしい視線が向けられているのを感じた。周りを見渡すと、飲み屋のオヤジが酔っ払ったような顔で紅子のことを見ている。
「中田さん。中田さん、大丈夫ですか」真村が促し、「あ、すみません」と中田は立ち上がる。
「こんにちは、はじめまして。猫ウォッチャーの中田紅子と申します。今日はお招きいただきましてありがとうございます。この会議のために資料を作ってきたのでご覧いただけますでしょうか」
 すると、男たちは紅子の言うことなど全然聞いていないようで、「それより、ねーちゃん。早く飲みに行こうや」との野次が飛ぶ。
 もはや話を進めるような雰囲気ではないと察知した紅子のトーンは一オクターブ上がった。
「あのですね、さっきから聞いてますと、みなさん猫は好きじゃないんですか」
 野次を飛ばした男を睨みながら紅子が言うと、男は下衆な笑いを浮かべ、
「というか、猫ってよく知らないんだよなー。子猫ちゃんなら好きだけどな。君みたいな。へっへっへ」と言い、男たちはその虫唾の走るようなオヤジギャグに大ウケしている。
「真村議長、あなたはどうですか。猫の居場所がなくなっていることをどう思いますか」男のギャグなんかに動揺するものかと無視を決め込んだ紅子は、真村に話を振った。
「好きでも嫌いでもないよ。これは仕事だから。というかね、中田さん、猫の居場所がなくなっていることはどうしようもないんじゃないのかな。だって、地球は人間のものだろう。人間が住みやすくなるようになったら、猫なんかが住みにくくなるのは仕方ないよ」
「じゃあ、どうしてこんな会議が開かれているんですか」紅子の声は抑制をなくし、全身がブルブルと震えていた。
「お金が余っているからだよ。あとは、こういう会議もたまには開いてあげないと、動物愛護の団体がうるさいだろ。ほら、中田さん、あなたの意見はもうわかったからさ、会議を先に進めましょう。座ってください」
「これが座れずにいるものか!」
 紅子は叫び、ハイヒールのまま机の上に飛び乗った。そして、机の上をカツカツと音を鳴らしながら走り、出席している男たちのアゴを蹴り上げる。紅子は小学生の頃にサッカーをやっていたから、コキンコキンと骨に当たるいい音がした。男たちは大した抵抗もできぬままに倒れ、中には若い女のハイヒールに蹴られたことを幸せに思うのか、至福の表情を浮かべたまま気絶している者もいた。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ。君!」真村が紅子を止めさせる間もなく、紅子は真村の背後に回り、髪の毛を結んだヘアゴムを取ると、真村の首に巻きつけた。
「こんなくだらない会議のために猫の居場所が減らされるなんて許せない。殺されたくなかったら、廊下で待っている報道のテレビカメラに向かって、猫のための予算をおろすと言え。拡大する都市化計画を一時ストップさせ、猫との共存をはかると宣言するんだ」
「わ、わかった」
 こうして真村議長はテレビカメラを通じ、全国の自治体に猫の予算をおろすように命令した。真村は元大臣からの天下りで役人への影響力はあったから、効果は絶大だった。役所に潜んでいた猫好き、ペット好きたちの協力を得て、瞬く間に「猫と人間の共存プラン」は軌道に乗った。最初は猫から始まり、続いて犬、鳥、魚などとの共存が次々と実現し、日本中には江戸時代のように動物たちが闊歩することとなった。
 中田紅子は脅迫容疑で逮捕されたが、3年後出所すると、世間の圧倒的な支持を受けて女性初の総理大臣に選出された。彼女の武勇伝は世界中に発信され、「猫の救世主」と呼ばれた。紅子の道はまだ半ばだが、彼女ほどの勇気を持つ者なら頑としてあのようなオヤジたちの復権を抑え続けることができるだろう。