総理大臣のスイッチ

「奴さん、全然口を割らないですね」部下の徳本が上司の相原に向かって言った。
「ああ。なんてったって、国民を最後まで騙しぬいた人間だからな。一筋縄ではいかんだろう」

 相原が取調べをしている元総理大臣の名前は定木万蔵と言った。定木の政治家としての経歴は少々異質で、特に何の政治的成果をあげていないのにもかかわらず、人柄がいいということだけで周囲からの人望を集め、その地盤を築いていった。総裁選に立候補した時も、定木のことをよく知らない人間からすれば、確実に負けるだろうとの予想が濃厚だったが、定木の「私は何かを必ずしでかします」と言ったスローガンを信用した人々の票を集め、圧倒的大差で総理大臣に選ばれた。
 定木は具体的な政策を全く示していなかったので、その所信表明演説に国民全体からの注目が集まった。この日の中継は後に視聴率80%を記録したほどだった。定木はそんな注目度の高さを手に取るように感じているのか、余裕の笑みを浮かべながら演説でこう言った。
「国民のみなさん、いいですか。私はこの演説でひとつのことしか行いません」
 そう言って定木は指輪のケースほどの箱を取り出した。そこにはレバーのようなものがついていた。
「これはスイッチです。このスイッチを入れれば、その瞬間から国民の皆さんの生活は一変します。さあ、行きますよ」
 カチッ。と言う音が静まり返った国会と、静まり返ったお茶の間にこだました。

 スイッチが入れられた後は、テレビ局や政党に対して、抗議や賛同の電話が何万件も寄せられた。「生活が変わった」と述べたものの中には、「スイッチを入れた瞬間、家の塩辛が全部腐った」と言った小規模なものから、「スイッチを入れた瞬間、目の前の景色が全部ピンク色に見えるようになった」と言う驚きの内容のものまであった。一方でその半分は、「何も起こらなかった」と言うものだった。
 やがて世論は、この定木の行動を信じる「スイッチ原理主義者」とその反対の「スイッチ懐疑派」の真っ二つに分かれた。定木はこれらの世論の対立を嘲笑うかのようにスイッチを押し続けた。たとえば、新しい法案が通されたり、何か国会で問題が起こった時には、「私が今スイッチを押せば、全ては解決します」と言ってスイッチを押した。
 海外のメディアなどはこの定木の行動をオカルトだと言って一蹴し、日本の迷走は止められないと言う見方が濃厚だった。しかし、この周囲からの冷たい予測とは裏腹に、日本の現状は不思議と快方へと向かっていった。景気は回復し、犯罪は激減し、人々の表情はスイスの山奥に住む少女のように朗らかとするようになった。2005年に国民総幸福量(GNH)を集計した時には下位に終わった日本だが、2015年にはブータンに次いで第3位に踊り出た。
 この結果を数字で見せられたスイッチ懐疑派は一気にその勢いをそがれ、やがてスイッチについて異議を唱えるものがいなくなった。2015年の国勢調査によると、定木総理のスイッチの働きを信じると答えたものがなんと国民の70%もいたとのことだった。
 
 だがしかし、その一方で残りの30%はその機会を淡々と狙っていた。定木の失脚を願う対抗勢力が中心となったスイッチ懐疑派の残党たちは、科学を武器に定木に勝負を挑んできた。定木の持っているスイッチはあくまで何の効力もなく、国民を騙していると言うのが彼らの言い分だった。
 彼らは国会尋問で定木のスイッチを科学的に分析し、その中身は空っぽだということを突き止めた。これについてはほとんどの人々が知っていたが、改めて科学者に「何もなかった」と言われると返す言葉がない。それに、国民はこのような実体のない政策によって物事がうまく行っていることに恐怖を覚えつつあったのだ。
 こうして、一度は70%まで上りつめたスイッチへの支持も次第にしぼみ始め、遂には検察が動き出した。検察が動いてから、定木の逮捕まではあっというまだった。定木が逮捕された後、国内の状況はすぐに悪化したが、これについては誰も何も言わなかった。国と言うものは少しぐらい問題がないと不健全だと言わんばかりに。

 そして今こうして相原は定木を取り調べている。
「なあ、定木さん。吐いちまえよ。あんたのやったことは詐欺なんだろ? スイッチの模型でみんなを騙したんだろ」
 しかし、定木は頑としてこれを認めず、今日もこう繰り返す。
「詐欺ではないのです。私がスイッチを入れると言ったら、彼らの中では本当にスイッチが入っていたのです。それを信じるとか、信じないとかは問題ではない。彼らの中では本当にスイッチが入っていた。確かにあのスイッチの中には何も入ってませんでした。しかし、誰もがスイッチだと思う以上、それはスイッチなのです」