淡水戦隊サワガニン

「サワガニか、ビジュアルとしては面白いかもしれないな。ただ、今回の君のプロットだと甘いよ。サワガニであると謳う以上は、もっと事実に即したものじゃないとダメだ。このまま放送したら、生物学者のお偉いさん方から、間違った認識を子供に与えてしまうとクレームが来るに違いない」
 プロデューサーはそう言って甚太にプロットを突き返した。
 スーパー戦隊シリーズを専門とする脚本家の屋敷甚太は今回かなりの冒険に出た。スーパー戦隊シリーズも最近では視聴率が低迷しており、このあたりでラジカルな変化を見せないといけない。そこで考えに考えて思い浮かんだのがサワガニだった。
 甚太はここ数作の企画が通らず、収入はぱったりととだえていた。スーパー戦隊シリーズ以外は全くアイデアが思いつかない甚太にとって、スーパー戦隊の脚本を書けないということは死を意味する。甚太は今回の企画が通る自信もなかったため、本気で自殺を考え、奥多摩の川へと向かった。しかし、すぐに川に飛び込むには気温が低く、ウジウジとダイブするのを躊躇っていると、そこに活き活きと動き回るサワガニの姿が目に入った。
 サワガニはまるで天使のようだった。人間はバカのひとつ覚えのように前向きにしか歩かないが、彼らサワガニは飄々とした動きで横に動く。それを見て甚太が思ったのは、人間は前向きに動かなくてはいけないと思う込むから鬱病などになるのであって、最初から横に動こうと思えば、もっと気楽に生きることができるんじゃないかと思われた。そこで思いついたのが、今回の新ネタ、淡水戦隊サワガニンだった。
 ネーミングはサワガニンジャーかサワガニンかのどちらで行くか一瞬迷ったが、なんとかジャーは2000年にゴーゴーファイブが終わって以来ずっと続いていたからそろそろ替え時だと思っていた。タイトル的にもビジュアル的にもキャッチーだし、これはヒット間違いない。そう思って家に帰ると、そこから寝ないで3日でプロットを書き上げた。しかし、水生生物の知識など全くなかった甚太にとっては、推測で書かざるを得ない部分も多く、そこを今回プロデューサーから指摘されたわけだ。
 しかし、プロデューサーが気に入ってくれているのは間違いない。このプロットのリアリティをもっと増すために、甚太はなけなしの金をはたいて巨大な水槽と図鑑を買い、万全の準備をした状態でサワガニを飼い始めた。
 サワガニと過ごす日々は夢のようだった。甚太はこんなに楽しみながら企画を練るのは初めてだった。みるみるうちにアイデアが浮かび、次にプロデューサーにプロットを提出した際にはその場で太鼓判をもらった。
「いいじゃないか。屋敷くん。これで行こう」
 プロデューサーは甚太が考えた「人間もたまには横向きに歩こうよ」というキャッチコピーを気に入ったみたいだった。まさにサワガニは甚太にとっての救世主だった。

 そんな甚太がある夜、サワガニンの第1回の脚本の執筆に没頭していると、家のピンポンベルが鳴った。
「誰ですか?」
「私よ。何なの。誰ですかって」
 清美だった。清美は甚太の同棲相手だったが、1年間オーストラリアに語学留学に行っていて、今日がその帰国日だったのだ。甚太はあまりの忙しさにそのことを忘れていたが、それを気付かれないように気をつけながらドアを開けた。
「ごめんごめん。ちゃんと覚えてたよ。おかえり」
「本当に? 別の女でも連れ込んでたんじゃないの。うっ…何この匂い」
 清美は甚太の部屋に入ろうとすると、足を止めた。
「何? 何か匂う?」
「は? あんた鼻ついてんの? この匂いは何なの?って聞いてるの。川じゃん?」
「皮ジャン?」
「ふざけるのもいいかげんにしてよね。川よ、川。あんたの部屋、いつから川になったのよ」
 甚太は清美に指摘されるまで本当に気付かなかった。この匂いの中で生活していたせいだ。
「ああ、ごめん。ちょっといろいろあって」
「いろいろじゃないよ! 私が置いてった荷物にも、この変な匂いがついてるんじゃないの?」
 そう言って清美は玄関のところにあったタンスから下着を出し、匂いをかぐ。
「おうぇええ。おえっおえっおえっ。これ全部川の匂いがするじゃねえか。ふざけんな! こんなところ一生戻ってこねえからな!」
 男勝りの言葉を発して清美は出て行き、二度と帰ってくることはなかった。甚太は追いかけることはしなかった。俺は仕事を得て、愛を失った。その代償は大きいが、これでいいのだ。いつも前向きである必要などない。たまには横向きに歩けばいいじゃないか。そう思いながら、水槽の中を横歩きで這い回るサワガニを愛しそうに眺めた。