かりそめの現代語史

 はじまりは埼玉県にある上尾市の高校で、1人の女子高生が合格発表を見に行く時に「かたはらいたしー!」と言ったことにあると言われている。仮にその女子高生の名前をエミールとしよう。その瞬間、周囲にいたエミールの友人たちが、「何それ!」「ガチで新しい!」「私も真似したい!」と大騒ぎし始めた。エミールの高校では、あっというまに古語が流行し、その勢いは全国へと波及。2010年の夏は全国の女子高生がこぞって古語を話し始めた。
「あのおのこ、げにあらまほし! われなづむよ〜」とイケメン高校生を見ながら騒ぐ女子高生がいたと思えば、その横ではそれをなだめる女子高生がいた。
「はかなし、はかなし! あのおのこ、ふつつかなり!」
 その光景を見て、大人たちは眉をひそめたが、国語学者たちは黙っていなかった。日本語の崩壊を憂う彼らは、この時こそ日本語の復活の時だ!と思い、古語スピーカーの女子高生たちをこぞってテレビ番組に出演させ、古語の魅力を煽り、早急な普及につとめた。渋谷と六本木に、「女子高生が教える古語教室」を設立し、スケベ心を持った中年男性たちをも取り込もうとした。この年の夏、古語について書かれた書籍はざっと200冊を超えると言われている。
 女子高生の親たちは、娘たちが全く意味のわからない言葉で喋りだしたことに戸惑ったが、受験勉強の役に立つならと思い、これを許した。学校側も、まさか古語で話すことを禁ずるわけにもいかず、寛容な体制で臨んだ。中には文法的に間違っている古語もいくつか含まれていたが、誰もそれを指摘することはできなかった。
 大人たちの大半は、どうせ女子高生なんだし、すぐに飽きるだろうと高を括っていた。1年か2年もすれば、またどこかから新しい言葉を生み出して、そちらに飛びつくだろうと。それゆえに、スケベ心のある中年男性以外は、大人になってまで古語をあえて学ぼうと思うものはいなかった。
 だがしかし、そんな大人たちの予想に反して、女子高生たちは古語を話すことをやめようとはしなかった。社会学者が分析したところによると、古語の響きが現代のアゴの弱い日本人の若者の口に合っていたのだろうと言われている。古語は音を発する時にストレスにならず、ボソボソと下を向きながら喋っても意味は通るので、苦しいことを嫌う若者たちのニーズにぴたりと合ったのだ。こうして2010年以降はほぼ全ての若者が古語を話すようになり、現代語が理解できない子供たちも増えてきた。最初は彼らが読める本は昔の古語で書かれた本しかなかったため、『土佐日記』や『徒然草』がベストセラーになり、大人たちは面白い現象だと言って笑った。
 しかし、当時13歳だった道野早苗が古語小説『なほあほがる』を書いてベストセラーになると、それ以降は若者の文化は古語一色に塗り替えられた。映画やバラエティは古語、古語、古語の嵐。彼らが成長していき、2030年に古語しか話せない加藤元雄が首相となると、一気に古語公用化への世論が高まった。その時、40歳以上の人間は現代語復活を求めるデモなどを起こしたが、これも鎮圧された。彼ら、現代語スピーカーたちはこのような動きを煽った言語学者たちを糾弾しようとしていたが、彼らはすでにこの世にはいなかった。この動きの発端となったエミールは英雄として崇め祭られた。
 2050年に5月に最後の現代語スピーカーがこの世を去り、こうして現代語は終わりを告げた。いや、むしろ古語が復活すべくして復活したと言ったほうが正しいだろう。現代語は日本の歴史から見ると、わずかな期間しか生き延びなかったわけだ。

※ なお、この文章は古語で書かれたものを現代語翻訳している。
※ 途中で「古語」と「現代語」の意味は入れ替わるわけだが、混乱するのでそのままとした。