自慢したくて胸が張り裂けそうだよ

 ここんとこめっきり自慢話をする機会が少なくなった。自分の話ばかりする男はモテないという考え方が幅をきかせているため、えんえんと自慢話をしてしまうと白い目で見られるのがわかる。俺が高校生くらいの頃はそんな風潮はなかった気がする。俺が自慢話をするとクラスの全員がしんと静まり、最後まで聞き逃すものかと集中していたものだった。
 そんな時代なだけに俺の欲求ははちきれんばかりだ。ゆうべも俺は仕事が忙しくて45歳にして完徹を敢行した。このことを誰かに自慢したくて仕方がないのに、オフィスでは俺が自慢話をしようとすると、誰もがさーっと仕事に戻ってしまい、モヤモヤとした気持ちを抱えて帰宅することになった。
 そこで俺は思いつく。そうだ。自慢話を朝から晩までできるサークルがあったらどんなに素晴らしいだろう。そこには人の自慢話を聞きたくてウズウズしている人々が全国から集まり、そこで提示される自慢話に相槌を打ち、時には笑い、時には驚嘆する。俺はそんなサークルを作るためならどんな犠牲も厭わないぞ。そう思い、翌日会社に退職届を提出した。部長は一瞬たりとも引き止めることはしなかった。
 俺は手始めにホームページを開設し、自慢話したい人、聞きたい人集まれ!と募集をかけた。数時間の間に何十通というメールが届き、幸先のいいスタートだなと思ったが、どれも自慢話をしたい人ばかりで聞きたい人はいなかった。
 しかし会社を辞めてしまった以上、収益はとらないと俺が食べていけなくなってしまう。俺はメールをくれた人たちに返事をし、翌週の土曜日に無料で使用できる区の公民館を借りて、第1回の集まりを行うことになった。
 結局、会場には60人もの人が集まった。俺は1人から500円を徴収し、3万円が懐に入ることになった。
 60人もの人間が自慢話をするわけだから制限時間を設けなくてはならない。俺は1人5分という時間を与えた。それだけでも5、6時間になるはずだ。
 トップバッターは北海道から来た青年で、彼は自分の家柄について自慢した。彼は有名な開拓使の息子であり、自分の先祖がいなければ今の北海道はない。だから道民はもっと自分の家系に感謝をしてほしいとのことだった。
 トップバッターにしてはなかなかパンチ力のある自慢じゃないかと俺は思ったが、彼は非常に自慢がしにくそうだった。俺は会場を見渡し、気付いた。誰もが自慢をしたい人間ばかりで、とても人の自慢を聞きたい人はひとりもいないのだ。トップバッターの彼はそれを察知し、気持ちよく自慢ができなかったようだった。
 2番手に出てきた人も3番手に出てきた人も同じだった。自慢をし始めると、聴衆が聞きたがっていないのが手にとるように伝わってくるのだろう。俺もそうだが、ここにいる皆は早く自分の自慢話がしたくて仕方ないのだ。カラオケボックスで貪るように歌本をめくり、次に自分が歌う曲を選んでいる大学生のようだった。
 これは俺が自慢をする時にも痛いほど実感した。俺は一応サークルの主催者として最後を飾らせてもらった。俺はこの日のために、若い頃いかに寝ないで仕事をしていたかというとっておきの話を持ってきた。だが、自分の自慢をし終わった参加者は長時間に渡る会合に疲れ果て、早く家に帰りたくてたまらないのだ。俺はそんな空気を肌で感じながら、ちっとも気持ちよくない時間を過ごした。
 このサークルの第1回会合は参加者からの評判は最悪だった。もう二度と行くものかというメールまでもらった。よく自慢話をする人はデリカシーがなく、自分勝手だと言われるが、そんなことはない。彼らは誰よりも繊細で、一生懸命聞いてくれる聞き上手の前でないと気持ちよく自慢することができないのだ。
 サークルには結局、自慢話を聞きたい人はひとりも集まらず、俺はサークルを閉鎖した。俺の独立プランは挫折してしまったため、俺は以前働いていた会社に再び雇ってくれるように頼んだ。しかし、元社員たちの猛烈な反発にあい、復職することはできなかった。
どうしてこうなってしまったのだろう。俺はただ自慢がしたいだけなのに。