子供たちの奇妙な遊戯

 さっきさあ、俺が公園でのんびりランチ食べてたらさ。変な光景を見ちゃったんだよね。小学生くらいの男の子が、8人で遊んでたんだけどさ、その遊びって言うのがすごく変なんだ。
 グループの中には1人リーダーみたいなのがいて、そいつが遊びのルールを仕切っていた。リーダーは他の子供たちに、“あるべきもの”、“あらざるべきもの”、“なくてもよいもの”と名づけていた。その名前がすでに気持ち悪いだろ? リーダーは自分で自分のことを傍観者と呼んでいた。名付けられた者たちは、何をすることもなく、公園の中をブラブラするだけ。ただ、それに傍観者であるリーダーがいろいろと動きに注文をつけるんだな。
「おい、小竹。おまえは“あるべきもの”だからもっと堂々としてろよ」
「おい、春山。おまえは“あらざるべきもの”なんだから、もっと罪深そうな表情をしろ。おまえはこのゲームにはあってはならない存在なんだ」
「おい、澤尻。おまえは“なくてもよいもの”だから、肩に責任感の呪縛がないことをもっと謳歌しろ。ただ、別になくてもよいものなんだから、その辺の哀愁は忘れないようにな」
 傍観者に演技指導された子供たちは「OK」「そっかそっか、勘違いしてたよ」なんて言いながら淡々と自分の役割をこなしていく。傍観者が気まぐれにゲーム終了の合図をすると役割は再び代わり、新しい自分の役割を演じ切れるようになってくる。
 やがて、1回のゲームの時間は短縮されていった。20秒しかゲームを行わずに、役割交代を命じられることもあったが、彼らは一瞬にして自分のやるべきことを理解した。俺はしばらくボケッとしながら見ていたが、傍観者の指示を聞いていなくても、彼らがどの役割を演じているのかはすぐにわかるようになったよ。
 今時の小学生っていうのは怖ろしいんだな。この公園が麻布十番だからっていうのもあるかもしれないけどさ。俺の田舎の宮崎県では、とてもこんな難解で哲学的な遊びをやっている小学生はいないよ。そもそも、あの傍観者だかリーダーだか知らないけどさ、あんなにしたり顔で同級生に指示を出している奴は何者なんだよな。
 そんな風に俺が思っていると、俺の隣のベンチでタバコを吸っていたサラリーマンが小学生に食ってかかったんだよ。サラリーマンはリーダーにつかつかと歩み寄り、
「おい、おまえら、子供のくせにそんな小難しい遊びなんてやってたらろくな大人にならないぞ。おまえらは大人の世界をシュミレーションして楽しんでいるのかもしれないが、現実はそんな頭で観念的に考えてやっていけるような甘いものじゃないんだよ。もっと実質的で予測不可能な生き物のような存在なんだ」
 俺はこの言葉を聞いて、へえーって思ったね。そのサラリーマンはタバコ吸ってヤングジャンプ読んでただけだから、とてもそんな難しいことを考えているように見えなかったんだけどさ、今でもつかみかからんとする勢いで傍観者に怒鳴っているんだからさ、ちょっと見直しちゃったよ。
 サラリーマンはさらに続けたんだ。
「第一な、おまえ。傍観者とか言っておきながら、やっていることが全然傍観者じゃないだろ。傍観者って言うのは他人に口を出さないものなんだ。ぼけっと見ていることが仕事なんじゃないか。違うか?」
 俺もそれを聞いて思わずザッツライト!と叫びそうになったね。傍観者って言うには、その子供は明らかに指導者然としているんだ。あんなのは普通、傍観者とは呼ばないよ。
 ここまでサラリーマンに言い寄られて、傍観者はちっとも動じる様子はなかった。むしろ一緒にゲームをしている子供たちのほうがオロオロしてたかな。でもさ、傍観者は言ったんだ。
「おい、おまえら。こんなもの気にするんじゃないぞ。このサラリーマンは、“取るに足らないもの”なんだ。何を言われても気にしなくていい。ある意味、これは事故みたいなものだからな」
 そう言われて子供たちはホッとしたようだ。彼らはサラリーマンの存在などを気にせずに、再び自分たちのゲームに勤しんだ。子供に取るに足らないなんて言われたサラリーマンは、激怒して今にも殴りかかろうかという勢いだったけど、その公園にはOLたちもたくさんいて、サラリーマンの動きをじっと見ていたからね。まさか公衆の面前で小学生を殴るわけに行かないと思ったからか、おとなしくすごすごと引き下がったってわけさ。
 どうだい、これが俺が今日見た変な光景だったんだけどさ。子供っていうのは、いつの時代も大人には理解できないようなことを考えるもんだね。俺も彼らにとっては、取るに足らない者なのかと思ったら午後の仕事が全然やる気なくなっちゃったよ。