俺のカトウ Dear My Kato

 俺はカトウが好きすぎる。 
 銀だこハイボール酒場で生ビールを飲みながら、シンゴはテーブルをカリカリと引っかいた。シンゴがカトウと出会ったのは大学3年の時にやったコンビニのバイトだった。シンゴはカトウの趣味や物の考え方に心酔し、有意義な大学生活を過ごした。もしもカトウがいなかったら自分はどうなっているのだろうと今考えてもぞっとしてしまう。
 シンゴは大学でサークルにも入っていなかったので友達もできなかった。その一方でカトウは社交的で友達も多く、シンゴのことを様々な場所に連れていき、それまで出会ったことのなかったような人々に会わせてくれた。カトウは独学でファッションを学び、大学生でありながらインディーズのブランドを立ち上げていた。シンゴとコンビニで出会った時は、資金繰りに苦しんでいた時だったから、ある意味シンゴにとってはラッキーだったと言えるだろう。その後、ブランドは軌道に乗り、カトウはコンビニをやめた。それでもカトウとシンゴの仲は切れることはなかった。
 自分みたいな冴えない人間と一緒にいて何が楽しいのだろう。と思ったことはしばしばある。それでもカトウは何かとあるとシンゴに電話をよこした。2年ほどで別れてしまったが、大学時代に付き合った彼女もカトウの紹介だった。その女の子はそこまで人気者ではないものの、モデルをやっており、とても普通に生きていたら知り合えないタイプの女の子だった。
 カトウのブランドの人気は3年ほど続いた。しかし、ファッションの時流の移り変わりは激しく、やがて経営もうまく行かなくなり、店を閉じた。カトウはそれ以来、ファッションの表舞台からは姿を消した。
 DJをやっているとか、弁護士を目指し始めたとか、大手商社に就職して今はアメリカにいるだとか、カトウにまつわる様々な噂が流れた。しかし、どれも信憑性は薄く、どうやらまだ東京に暮らしていて、小さいデザイン事務所で細々と契約社員をしているらしい。というのが大方の見方だった。
 世間の人々にとって表舞台から姿を消したカトウはどうでもよかったが、シンゴにとっては全然どうでもよくない。シンゴはカトウのおかげで世界が変えられた身だし、カトウが何をするかをいつも気にしながら生きてきた。それを今さら消えられたら困ってしまうのだ。シンゴは一応、求人サイトで見つけたファッション雑誌社で勤めていた。しかし、ファッションに全然興味がなかった自分に基礎知識をつけてくれたのはカトウなのだ。シンゴはいまだにカトウ抜きでファッションの仕事をしている自分が信じられなかった。
 シンゴはたまにカトウに連絡を取ろうとしたが、奴の携帯番号はいつのまにか変わってしまっていた。カトウはイケイケドンドンの時は多くの人と幅広く連絡を取り合うが、その気がない時はばっさりと断ち切ってしまう。カトウはブログやツイッターなどもやっていないため、近況もわからない。シンゴは自分の友人が次々とツイッターを始めたという連絡をもらっていたが、自分にとって最もツイッターを始めてほしいのはカトウだった。
 シンゴにとって、今の職場で働き続けるのはもう限界だった。もしこの場にカトウが現れて、おまえの仕事は最高だよって言ってくれたらいくらでも続けられるのに。
 銀だこハイボール酒場で3杯目の生ビールをあおった後、シンゴはある決意をした。カトウの近況がわからないなら、自分で捏造すればいいじゃないか。そう思ったシンゴはすぐさま家に帰り、「俺のカトウ」という名前でツイッターを開設した。
 カトウの日々を想像するのは容易なことではなかった。「猫かわいかった」「犬こわかった」「ゴキブリうざい」などと、安易にカトウの生活を想像してみたものの、そもそもシンゴには想像力というものに欠けていたから、とてもリアリティのある文章は作れなかった。こんなくだらないことをあのカトウがつぶやくはずがない。シンゴは自分のセンスのないつぶやきを見るたびに愕然としたものだった。

 結局、こうしてカトウになりきれなかったシンゴは仕方なく仕事を続けた。辞めたところで何をやっていいのかわからなかったからだ。
 こうして5年が過ぎ、10年が過ぎた。カトウは雑誌社でアルバイトに来ていた女の子と結婚し、ますます仕事を辞めることはできなくなった。時おり、狂ったようにカトウに会いたくなり、「俺のカトウ」に新規の書き込みをしたが、相変わらずリアリティのない文章で、カトウとの距離はますます遠のいていくような気がしていた。
 実際、カトウとシンゴの距離は昔よりもずいぶん遠のいていた。その頃、カトウは実家がある山口県に帰り、親の酒屋を継いでいた。仕事上パソコンに触れる機会もなく、「俺のカトウ」の存在をカトウが知ることは永遠になかった。