後藤渡辺

 私が通う中学校では、ゴールデンウィークをGWと表記してはいけない。思い返すのも怖ろしい、恐怖の思い出が染み付いているからだ。
 私が中学1年生の時、後藤渡辺と名乗る生徒が転校してきた。どう考えても苗字が2つ並んでいるような、この変わった名前の生徒を、他の生徒たちは何と呼んでよいものか戸惑った。ある者は後藤と呼び、ある者は渡辺と呼んだ。しかし、後藤渡辺はそのどちらも気に入らないようだった。
 後藤渡辺は自分のことをGWと呼ぶように全校生徒に通達した。どのような方法で通達したかというと、全校生徒の下駄箱に「私、後藤渡辺をGWと呼ばないと、おまえに呪いが降りかかるであろう」と書いた手紙を入れたのだ。
 多くの生徒は信じ、その残り半分の生徒は疑った。律儀にGW(ジーダブリュ)と後藤渡辺を呼ぶ生徒に対しては、後藤渡辺は無邪気な笑顔を見せたが、後藤もしくは渡辺と呼ぶ生徒に対してはあからさまな敵意をむき出しにした。
 そして夏休みに入ろうかという頃、事件が起きた。後藤渡辺のことをGWと呼んでいなかった連中が、全員親の都合で転校することになったのだ。それは教師でも同じだった。この時の事件で、132名の生徒と6人の教師たちが学校を去った。
 残った生徒と教師たちはこの事件を受けて、ますます後藤渡辺のことを怖がるようになった。私も自分が後藤渡辺に忠実なことをアピールするためにも、「GWさん、こんにちは」と会うたびに挨拶することを欠かさなかった。多くの生徒が自分をアピールするために、GWを連呼したため、後藤渡辺が廊下を通るたびに、GWの輪唱が始まったように聞こえた。
 こうして後藤渡辺の天下は続くかに見えた。だが、それは続かなかった。ある日、後藤渡辺は下校する際に警察官に職務質問された。中学生が職務質問されるのは珍しいことではない。だが、後藤渡辺はこの時、警察官に名前を聞かれ、後藤渡辺と答えた。すると、警察官は笑い、「どっちが苗字かはっきりせい!」と笑いながらからかった。これにキレた後藤渡辺は警察官に襲い掛かり、後藤渡辺は公務執行妨害で逮捕された。
 生徒たちは後藤渡辺がそのまま帰ってこないことを祈っていた。もう二度とGWという文言を口に出すことをしたくなかった。すると、後藤渡辺は何か家庭の事情でもあったのか、別の学校に転校してしまったとのことだった。転校の理由は誰にもわからなかった。
 この時のトラウマが抜けない教師や生徒たちは、テレビや雑誌でGWという表記を見るたびに悲鳴をあげた。そのため、ある日の朝礼で、校長がじきじきに「あの時のトラウマから立ち直るためにも、我が校ではゴールデンウィークをGWと書く、もしくは言うことを禁じます」と宣言した。そこにいた全員から大きな歓声が上がった。