ナッシン愚太郎

 愚太郎は将来何者かになると日本国民の誰もが思っていた。
 愚太郎は「国民の弟」というキャッチフレーズで、生まれた時からスターになることを宿命づけられていた。愚太郎は皇族のように特別な家柄のわけでもない。ただ単に練馬区に住む共働きの夫婦で生まれたごくごく普通の子供だった。しかし、この普通さが愚太郎プロジェクトのコンセプトと一致したというわけだ。
 人々が一生のうちに注目を浴びる瞬間は少ない。たとえバンドでメジャーデビューしようとも、何百人の中から映画の主演に抜擢されても、2、3年もすれば世間の興味は他へと移ってしまう。そんな矛盾だとか、やりきれなさだとかに対抗するためのプロジェクトが愚太郎プロジェクトだった。愚太郎には何の才能もない。容姿もたいしたことがない。そんなわが子の姿を見て運命を悲観した親が、思わずつけてしまったのが愚太郎という自虐的なエピソードも彼のキャラクターを表していた。愚太郎のようななんでもない人間を無理矢理スターにすることで、人々はカタルシスを得ようとしていたのだ。
 愚太郎は子供の頃、CMやドラマなどに引っ張りだこだった。本人もおそらく自分は生まれた時からのスターだという自覚を持っていたに違いない。人々は愚太郎がどこまで大物になるのかを楽しみにしながら見守っていたものだった。
 だが、愚太郎が中学生くらいになったあたりから、その才能のなさが露呈されるようになっていった。映画に出ると演技が下手で使い物にならないし、歌を歌わせても聞けたものじゃない。何よりも、存在感や華が全くなかったため、メディアの人間たちは静止画で使うことさえもためらった。
 それでも愚太郎の知名度は日本一と言ってもよかったし、人々はまだ愚太郎の人生にただならぬ期待をかけていた。ただ、愚太郎が高校にあがり、大学にあがるころになると、誰がどう見てもそのオーラの無さは打ち消すことができそうにもなかった。愚太郎は高校生の時と大学生の時にエッセイを5冊も出している。これは日々の悩みや自分の食べ物の好みなどをつらつらと書き記しただけの何の変哲もないもので、全く売れなかった。今ではブックオフの100円コーナーに山積みにされている始末だ。
 世間の人々はもう愚太郎が有名人やスターとしての歩むのはおそらく難しいだろうと思い始めていた。とはいえ、小さい頃から顔が売れているだけに、どこか名の通った企業などには就職するだろうと思っていた。日々のニュースではひっそりと愚太郎の志望企業や就職活動の様子などが掲載されていた。
 だがあろうことか、愚太郎を取ろうとする企業はひとつもなかった。ひとつもだ。愚太郎はマスコミや広告代理店などにこだわらずに、ファミリーレストランやコンビニなどのサービス産業にも手を出した。人々は愚太郎には宣伝効果があるため、これはさすがに受かるだろうと考えた。しかし、受からなかった。愚太郎は日本に嫌気が刺し、アメリカに短期の語学留学に行き、多少の英語を覚えて帰ってきた。しかし案の定、彼を取る企業はひとつもなかった。
 インターネットの世界では、誰が言い出したのか、愚太郎のことをナッシン愚太郎と命名するようになった。何も成し遂げることができなかったという意味でのナッシングとかけているのだ。愚太郎は現在43歳になり、独身で、決まった職もない。本人は「あの人は今…」のような番組への出演を望んでいるが、どこからもオファーはないという。