辞書は愛をつなぐ

 久しぶりに家に帰ってきた父親は背中に大きな荷物を背負っていた。母親は父親とは口を聞こうとはしなかった。自分が追い出してしまったという負い目があったからだろう。父親と私がテーブルに向かい合って座り、母親は台所で汚れてもいない皿を音も立てずに洗っていた。
 私が父親に背中に背負っている荷物の中身は何かと聞くと、辞書だ、と答えた。父親はリュックサックをテーブルの上におろし、中から辞書を何冊も何冊も高く積み上げた。そのたびにテーブルがドン、ドンという音がして、眠っていた猫のコイケがそのたびに不快そうに耳を動かした。
 辞書はイタリア語、中国語、モンゴル語スワヒリ語エスペラント語と、様々な国の言語があった。私がそれらの表紙を興味深そうに見つめていると、突然母が泣き出した。
「あなた、わかってくれたのね」

 母が父を追い出したのは、父親が外国というものに全く興味がなかったからだ。父はニュースを見ていても、海外のニュースになるとすぐにチャンネルを替える。母が洋画のDVDを借りてきても絶対に見ようとはしないし、メジャーリーグでのイチローの活躍ですら興味がない様子だった。
 それゆえにもっぱら我が家の家族旅行は熱海か日光に限られた。母は大学時代から留学したり、英会話学校に通ったりと、当時としては先んじて海外に目の向いた女性だった。それが父と結婚したことで、海外旅行のチャンスすら奪われて、英語のスキルも落ちていって、彼女としても鬱憤が溜まっていたようだ。母は父のことが割りと好きで、この海外嫌いをのぞけば完璧なのに、とよく漏らしていた。しかし、それでも我慢ならなかったのか、ちょうど1年ほど前の梅雨の日に、包丁を突き出して父親に家を出て行くように通告した。
 母がそこまで思い切った行動をとったのは、その裏に男の存在があった。この頃、母は父に内緒で語学カフェなるものに通っていた。これは言ってみれば、安上がりの駅前留学のようなもので、生徒たちは先生のコーヒー代+お礼を出すことでレッスンを受ける。母の相手の男はブレンダンというオーストラリア人で、その後何度か家にも遊びに来たから私も会ったことがあった。母はブレンダンと会ったその日に恋に落ち、3回目のレッスンで母から告白したという。
 そんなブレンダンの存在があったから、母は突然強気になったのだろう。父を追い出してからしばらくは、服にも金をかけ、化粧も上達し、以前よりも10歳ほど若返ったように見えたものだ。
 しかし、結論から言うと、母はブレンダンから遊んで捨てられた。ブレンダンは要は遊び人のバックパッカーで、日本の女性と遊ぶために東京にいたのだ。あとからブレンダンと共通の知人に聞いたところによると、ブレンダンは母と同時に3人の女性と付き合い、地元のパースにも長年付き合った彼女がいたという。
 ブレンダンに捨てられた後の母は、みるみるうちに元気をなくしていき、父さん帰ってこないかなあなどとこぼすようになっていた。

 そんな父が今、帰ってきて、両手いっぱいの辞書を抱えている。母としては、父が改心してくれたに違いないと思ったようだ。母はテーブルの上の辞書をまるで合格通知でも見るように大切そうに一冊一冊眺め、ありがとう、ありがとうと父に礼を言った。父親もそれを聞いてまんざらではないようだった。

 私はその後、こっそりと父親に聞いてみたことがある。あの辞書は本当に母親に改心をアピールするためのものなのかと。すると父は言った。その理由は当たらずも遠からずというものだった。父はある日、沢尻エリカ高城剛と結婚したのを見て、自分もこんな若い美女と付き合うにはどうしたらよいだろうかと考え、高城剛の書籍などを読み漁った。すると、高城剛が世界を飛び回っている人間だと知り、自分もそうなるために語学を勉強しようと思い立ったということだった。
 私は高城剛の話は母には言わないほうがいいよと忠告したが、語学を勉強しようと決心したことには変わりはないのだと知り、とりあえず胸をなでおろした。

 その後、父は元の父に戻り、全く海外への興味は失ってしまったようだ。辞書も結局、開いているのを見たことがない。母もそんな父を見て、やっぱりヨリを戻したのは間違いだったのだろうかと悩んでいるようだが、そのたびに居間に山積みにされた辞書を見て、あの日の感動を思い出して思いとどまっているようだ。