擬音ザ・サード

 日本語は永遠に不滅です! そんなことを言ったのは、どこかの県の言語学者だったろうか。あの時代を懐かしんでも、もう戻ることはありえない。
 紙の本が完全に絶滅し、電子書籍が一般化した2020年頃を境に日本語のボキャブラリーの低下は減少の一途をたどっていった。やがて難しい言い回しを使う学者のような人間は敬遠され、語彙の少ない者同士がコミュニティを作っていくようになった。
 彼らのコミュニティでは、バババー!とかドンドン!とかニャニャニャー!とか、その昔擬音と呼ばれた言葉しか使われていない。この頃はまだ普通の日本語を喋る人間がいたため、擬音しか喋らない人間たちは第3の人類という意味で擬音ザ・サードと呼ばれた。
 擬音ザ・サードの勢力はとどまるところを知らず、最初は家賃の安い川沿いなどに肩を寄せ合い住んでいたが、いつしか彼らの数は日本国民の人口の過半数に達し、政治家にも擬音しか話さない人間が増えてきた。普通の言葉を話す人間たちは最初、擬音しか喋れないザ・サードの人々を嘲笑していたが、一瞬で思っていることを通じ合えるという意味で転向する人が多くなっていった。
 何よりもその魅力は、海外の人間ともだいたいの意志疎通ができることだ。もちろん国によって、擬音の発音や概念は全く違うので、たまにはすれ違いが起こることはある。だが、「この水を出していただけますか?」と言うのよりは、「ジャー! ジャー! ドバー!」と叫んだほうが話が早い。いつしか国際社会も、いっそのこと日本だけではなく、世界で擬音を統一しようという動きが起こるようになった。
 この結果、難しいことを考える人間がいなくなり、人々のIQは映画『26世紀青年』のように低下。文化なども衰退していったが、皮肉なことに国境や人種といった意識は薄くなり、異人種同士の交配が進んでいった。その勢いたるや、まるで1918年から1919年にかけて6億人もの人々に広まったスペイン風邪のようだった。
 こうして地球には擬音ザ・サードが溢れ、もはや第3の人類ではなくなった。時おり、奇特な人間が昔の言葉を勉強して喋りだす事例も見られたが、これらの言葉は擬音を喋る人間には理解されず、原始人という意味の「ウホホウホホ」と呼ばれるようになった。