ユーアーユアユア

「ユーアーユー! ユーアーユー!」
 新橋の駅前。拡声器を通じて、白装束を着た集団が決まったフレーズを何度も何度も叫ぶ。彼らの名前は「ユーアーユアユア」。最近勢力を伸ばし始めている一種の宗教団体で、「君は君である」という概念を広めることで知られていた。「ユーアーユアユア」という名前は、掛け声である「ユーアーユー」を何度も連呼していると舌がもつれてきて「ユーアーユアユア」となることからこう名付けられていた。

 そんな拡声器をうんざりしながら聞いていた2人のサラリーマンがいた。2人は広場のベンチに座り、コンビニで買ったランチを食べていた。
「またユアユアですか。うんざりですね」
「そうだな。ところで、おまえの名前、今日は何?」
「僕は」と言いながら男がカードを出し、「本田です。ほら」ともう一人の男に渡す。
「本田朔太郎か。男らしくていい名前じゃんか」
「そうですね。ちょっと読みづらいですけどね。先輩は?」
「俺は杉原重人。イニシャルでS・Sだ」男は本田にカードを返し、自分のカードを胸ポケットからちらりと見せた。
「S・Sか。カッコイイですね。じゃあ、僕もSS先輩って呼ばしてもらいます」
 2人は握手を交わす。2人とも数年来の知り合いだが、こうしてその日の名前を互いに確認し合うときは身が引き締まるものだった。
「ユーアーユー! ユーアーユー!」
 そんな2人のやりとりを邪魔するかのように、また拡声器の声が一段とでかくなった。
「っるせえな。なんだよ、あいつら。ユアユアって。何が言いたいわけ?」
「SS先輩、知らないんですか? あいつらの教義を」
「知らないよ。いつもこうしてユアユア言っているのは聞いてるけどさ」SSが耳をふさぎながら、あからさまに嫌そうな顔を浮かべる。
「あいつら、人間は生まれてきた時の名前を一生使うべきだって言っているんですよ」
「は? 狂ったこと言ってやがるな。そんなことして何が楽しいんだ? 俺は俺じゃない。おまえはおまえでもない。俺はおまえで、おまえが俺だろ」
「そうですよね。自分は自分だとか考えたら怖くなりますけどね。SS先輩は自分の生まれた時の名前、覚えてます?」
「覚えてるわけないだろ、そんなの。本田は覚えているのか?」
「確か、なんとか太郎とか言いましたね。親が生まれた時の名前は一応覚えておいたほうがいいかもしれないって言って、筆で書いてしばらく壁に飾ってたみたいです。引っ越しの時になくなっちゃったんで、もうないですし、たぶん親も覚えてないと思いますけど」
「だよなー。そんな、自分は自分とか言っているような奴が犯罪を起こすんだろ」
「政府もユアユアのことはマークしているみたいですよ」
「やだやだ。俺は関わりたくないね」
 SSがそう言うと、ユアユアのトラックから降りてきた女性が2人のもとにビラを配りに来た。
「よろしくお願いします! ユアユアです! あなたたちの本当の名前、知ってますか? 私は増井由紀子って言うんですよ。このことを知った時は、世界が変わりましたね。私は他の誰かじゃなくて、私なんだって」
「そんなの、生まれたその日に配られた名前だろ?」無理矢理渡されたビラを汚いものでも見るような顔で見て、SSは言った。
「そう! それが私なんです。あなたたちにだって本当の名前があるはずなんです。何なら、ユアユアが名付けてあげますよ。あなたは、うーん、そうだな。ヒロシとかどうです? そっちのあなたは、ジュンジとか?」
 女はうれしそうに2人を勝手に名付けた。
「おまえ、頭おかしいんじゃないのか?」SSはもううんざりだと言う顔をして、本田を誘いその場を去った。

 このように、個人が個人の名前というものを持たなくなったのは、2000年から2100年にかけてのことだった。この時期、それ以前に比べて個人が個人であることの意義が全く希薄になっていったため、どこの国でも政府が名前を持つことをやめようと提案した。100年前だったら反対の声が挙がっていたかもしれないが、この当時は本当に個人であることの意味は全くなくなっていたため、ほとんど反対意見が聞かれることなく、その制度が決まっていった。
 しかし、お互いをどう呼んでいいという声が多く聞かれたため、政府は最初、番号で呼び合おうと提案した。しかし、21番なら21番と、その番号で一生呼ばれ続けるとなると、それは個人の名前を変わらなくなってしまう。そこで新しく提案されたのが、毎日その日違った名前をそれぞれに配るという方式だった。これは素晴らしい方式だった。毎日、新鮮な名前を渡された国民はそれを喜んで受け入れた。
 何よりも、政府や企業としても、私が私であるという個人主義は邪魔でしかなかったため、この全ての人間が誰でもないという感覚は時代にぴったりとフィットしていた。俺がおまえであり、おまえが俺であるという考え方を持つことで、自分の利益よりも公益を重んじるという考え方が確固たるものになっていったのだ。
 こうして2100年から100年ほどは、この考え方は完全に染み付いていった。しかし、だんだんそれに飽きた反乱分子が登場するようになっていった。彼らは何かの古典文献で、自分は自分であるという考え方を発見し、それを広めようとしていったのだ。
「ユーアーユアユア」も、そのひとつではあった。しかし、国民にとってもカルトな宗教としての認識は変わらず、やがて信者も増えることなしに衰退していった。

 その数日前、SL広場で増井由紀子と名乗るユアユアの信者に話しかけられた2人が所属する会社に、ある女性が入社してきた。この日の2人の名前は鹿取浩二と木俣喜三郎だった。鹿取と木俣は顔を見合わせ、女性に話しかけた。
「君、あの時話しかけてきたユアユアの人?」
「名前、なんて言ってたっけ」
 すると、その新入社員は照れながら答えた。
「やめてくださいよ。あれは一時の気の迷いです。若気の至りですって。私が誰かなんてもう忘れちゃいました。今日の名前は本庄かおり。私はあなた、あなたは私です!」