だ液のチカラ

 だ液の素晴らしさを知らない奴らが多すぎる。
 そんな怒りを抑えることができず、喜一は論文を書くことに専念した。だ液を粗末に扱うことをやめれば、人類は病気やストレスなどに苦しめられることなく、もっと幸福になれるはずなのだ。
 喜一は小学校5年生の頃から45歳まで、重度の口内炎に苦しめられてきた。中学のサッカー部ではレギュラー目前の大事な試合で口内炎のために欠場、そのまま退部することになり、文化系の人間になってしまった。それならばと予備校に行きまくって臨んだ大学受験も口内炎による激痛のおかげで失敗。社会人になってからも重要な仕事のたびに口内炎が原因でヘマをしでかし、気になる女性との初デートでも口内炎の痛みで会話に集中できずに、フラれることが多かった。
 このままじゃ自分は口内炎に潰されてしまうと思い、塗り薬や飲み薬、張り薬やレーザー治療などと色々と試したがどれも聞かず。厄払いまでしてもらったほどだった。
 しかし、ある時行った合コンで、会話のネタがなくて苦しんでいた時のこと。ふと口内炎のことを告白すると、やけに食いついている女子がいた。その女子には全く個人的な興味が湧かなかったため、その瞬間の会話しか覚えていない。だけど、今となって考えてみると感謝状を送りたいくらいだ。実はその女性も口内炎に苦しんでおり、ある日、口の中にだ液を定期的に溜めておくようにしたところ、驚くほどのスピードで治ったのだという。喜一はこれを聞くなり、帰宅してから寝るまで一切口を開かず、だ液を溜め続けた。すると、どうしたことか、あんなに大きくて厄介だった口内炎が完治したのだ。
 喜一はそれ以来というもの、無駄な時に口を開けることを一切やめた。そうしてみると、いかに自分が何もない時にアホみたくポカンと口を開けていることが多かったかに気付いた。喜一は口内炎とは無縁の人間となり、痛みに邪魔されることなく、仕事も恋愛も右肩上がりの急上昇を遂げた。
 そうなのだ。だ液と言うものは人間にとっていかに大切なものなのか、それを我々は忘れてしまっているのだ。
 こうして喜一は毎晩、仕事が終わると部屋にこもり、だ液についての論文を書き始めた。

 だが問題なのは、喜一に文章力が全くないことだった。ほとばしるような感謝の気持ちや、自分の経験談はあるのだが、それを体系的に書こうと思うと、脳がブラックアウトしてしまい、全く言葉が浮かばなくなる。そんな自分に苛立った喜一は、論文をとりあえずあきらめ、自分のだ液を瓶に詰め、路上で売るように心がけた。
 すると、これが功を奏した。喜一は不特定多数の人々に向けて文章を届けることは苦手だったが、実際に人を目の前にすると、自分でも驚くほど商品の魅力を熱弁することができた。
「みなさんは忙しい現代人だから、ここまでの量のだ液を溜めるのは大変でしょう。これは僕がこの数ヶ月寝る間も惜しんで溜めてきただ液です。中には発酵してしまっているものもありますが、効力は保証します。このだ液を飲んだり、料理に入れたり、傷口につけたりして、みんなで健康になりましょう」
 こうして、喜一のだ液は飛ぶように売れていった。やがて楽天などの大企業が飛びつき、「喜一のだ液」として大量生産するようになった。さすがの喜一は1日に何万個もだ液を作ることができなかったため、従業員の人々が束になってだ液を採取することになった。このため「喜一のだ液」とのネーミングはついているものの、喜一のだ液ではないもののに人々は金を払っていることにはなるが、人間のだ液である以上、どのだ液にもパワーはあるので、商品のクオリティについては問題なかった。会社側としては、健康なだ液を出してほしいため、社食のメニューは充実させていた。
 この会社でのだ液を採取する光景は世界の人々からすると大変珍しいらしく、築地の中央卸売市場に継ぐ第2位の人気を誇る観光地となっている。