昔話は禁止です

 常盤孝嗣新首相の掲げた政策の目玉となるのが昔話禁止政策だった。首相の言葉を借りるなら、人は過去を見るから現在を悲観するのであって、現在か未来しかないと思えばとことん前向きになれるということだった。
 常盤はその政策を施行するにあたって、徹底した焚書を行った。歴史に関連した本はもちろん、昔のことを書いてある本すべてだ。彼の狙いでは、記録するという作業を人類の行動の中から抹殺したいようだった。レイ・ブラッドベリの『華氏451』さながらに次々と本は燃やされ、隠し持っていた人々は罰せられた。しかし実際のところ、小説のような抵抗はほぼなかったと言ってもいい。人々はもはや度重なる政権交代や景気の変動などに疲れ切っており、未来だけを見ようという常盤の政策には期待していたふしもあったからだ。
 常盤は、昨日、おととい、去年、過去、昔、あの時、俺が若かった頃、などなど昔や過去を連想させる言葉を放送禁止にした。また、この法律により、テレビ番組の録画も禁止され、全ての番組が生放送となっていたが、タレントがうっかりと「私が子供の頃〜」なんて話題を振ってしまうと、即CMになり、降板させられた。
 昔話を連想させる言葉が放送禁止となったことで、これらの言葉に淫靡な雰囲気が加わるようになったのも事実だ。どうしても過去のことを話したい人々は地下に潜り、極秘の昔話サークルを結成した。ここでは人々は酒を飲みながら昔あったことを語り、それぞれが恍惚とした気持ちを味わっているという。
 SF好きな人だったら、ああ、そういうことねと思うかもしれない。焚書だったり、過去を捏造したりというのは、徹底した管理社会を描いたSF小説SF映画の定番だからだ。これにより歴史を歪曲することで、人々はコントロールされ、完璧な社会主義を押し付けられるに違いない。そう思うのだろう。
 だが実際はそのようなことはなかった。常盤には国民をコントロールするという狙いは全くなく、ただ純粋に現在および未来を見つめる前向きな国民になってほしいということだけだった。現在はその瞬間にすでに過去になっているとか、そういった理屈をこねる人間もいたが、常盤にはそういった考え方もどうでもよかった。とにかくただ前向きになっていったのだ。
 人々は最初漠然とした不安を抱いたまま、この政策に従っていた。昔話を懐かしむ時もあった。しかし、それもほんの一時期だけで、やがて人々は自分がなぜ昔話を話していたのかが思い出せなくなっていた。ゲリラ的活動をしている昔話サークルも徐々に勢いを失い、そして解散した。人々は気付いたのだ。過去を振り返ったりしても、楽しいことは何もないと。過去のわだかまりなどは全て水に流し、新たな人間関係が次々と作られていった。プロ野球からは記録というものが消え、どんなに偉大な記録を持つ選手の実績も全てリセットされた。その1球、1打席が彼らの人生を決定づけた。
 常盤の狙いは見事に当たった。これほどラジカルで人の役に立つ政策が、スムーズに国民に受け入れられるのは史上初と言ってもよいかもしれない。日本国民は互いの名前や過去を忘れ、いま現在を必死に生きることと、少しでも未来をよくすることに熱中した。人々は前だけを向いて生きることがこんなに楽しいことだということを知らなかった。それはまるで意識の変革と言ってもよかった。虫のように、ただ本能に従って、よりよい明日を迎えるためだけに暮らすようになった。
 こうして日本は一時期の低迷を脱し、国際社会のリーダーに躍り出た。今では他の国々も日本にならい、昔話を禁止しているとことも増えているという。